たぬき‐じる【×狸汁】
たぬき汁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/31 04:11 UTC 版)
たぬき汁(たぬきじる)とは、精進料理の一種でコンニャクを入れた味噌汁[1]。またはタヌキの獣肉を入れた汁物[2]。
精進料理
古くは 獣肉食が禁止されていた仏僧が、凍りコンニャクをちぎり胡麻油で炒って味噌汁にした料理[1]。タヌキの肉を入れた味噌汁に味が似ていることから、これが広まった[1]。
奈良興福寺宝蔵院の僧胤栄が創始した宝蔵院流槍術では、正月の稽古始めに「狸汁」を供することが伝統行事となっている[3]。奈良奉行川路聖謨の日記『寧府紀事』の嘉永元年(1848年)1月25日に「宝蔵院は昨日稽古はじめなるに古格にて狸汁を食するよし也 いにしへは真の狸にて稽古場に精進はなかりしが今はこんにゃく汁を狸汁とてくはするよし也」と記されている[4]。
また、奈良県桜井市岩坂の十二神社で正月4日に行われる祭事の直会には、こんにゃくのたぬき汁が作られる。熱い汁でありながら、油で湯気が抑えられ、見た目には熱そうでないので「だまされた」ということから「たぬき汁」と名付けられたと伝えられる[5]。
獣肉料理
各地の猟師の間では臭いを消すための方法が伝わっており、山梨では前処理として肉を藁で包んで、1週間ほど土中に埋め、その後2時間ほど流水にさらしていたり、岩手では皮を剥ぎ内臓を破らないように取ってから、骨を取り20日間ほど軒下に吊るし、その後、細かく切ってから、沢の水に二昼夜つけてから食用にしたとされる。酒、ニンニク、ショウガなどを使って臭いを抜くこともあった。たぬき汁にもっぱら味噌が使用されたのも、臭い消しのためと言われている[6]。
佐藤垢石の随筆「たぬき汁」では、ある日食通の知り合いを集め、タヌキを各種の料理にして食べる会を開催したとある。この随筆が書かれたのは昭和15年(1940年)のことで、東京では代用食が流行っていたとあり、タヌキも役に立てられないかという考えからであったという。その結果、香辛料を混ぜて作った狸の肉団子と味噌汁は美味、カツやステーキは噛めないほど固く、吸い物は獣臭くて食べられなかったとある。その上で、一流の料理人が作れば食べられるだろうが、素人であれば手の付けられない料理になってしまうだろうとし、タヌキ肉は代用食に不適であると結論付けられたという[7]。
日本では、昔はアナグマとタヌキを明確に区別していなかったので、アナグマ汁のことも、たぬき汁と呼んでいた。アナグマを使ったものは美味であるといわれる[8]。
東京都墨田区両国にある獣肉料理店「ももんじや」の品書きに狸汁が以前はあった。中身は赤だし、豆腐、ゴボウ、ワケギに狸の小さな脂肪の塊が4粒ほどあったという[9]。
出典
- ^ a b c 多田鉄之助「たぬき汁」『大日本百科事典 ジャポニカ』 11巻、小学館、東京、1969年12月20日、610頁。doi:10.11501/2525993。 NCID BN01727087。国立国会図書館書誌ID:
000001237456 。(
要登録)
- ^ 松井簡治; 上田萬年「たぬきじる」『大日本国語辞典』 3巻(修訂版)、富山房、東京、1940年5月8日、938頁。doi:10.11501/1870670。 NCID BN06560921。国立国会図書館書誌ID: 000000935253 。
- ^ 一箭順三 「狸汁会(たぬきじるえ)を挙行」 古武道のひろば 『月刊武道』 日本武道館、2015年4月号。
- ^ 大塚武松、藤井甚太郎 共編 「寧府紀事」『川路聖謨文書 第四』 日本史籍協会、1933年10月25日、33頁。
- ^ 奈良県学校給食栄養研究会 『郷土大和の味』 1984年3月、56頁。
- ^ 椎名誠、林政明「第一回 たぬきの道への第一歩」『あやしい探検隊 焚火発見伝』小学館、1999年、8-30頁。
- ^ 佐藤垢石「たぬき汁」『随筆たぬき汁』墨水書房、1942年、97-118頁 。
- ^ 佐藤隆三『狸考』郷土研究社、1934年、23頁。doi:10.11501/1076759 。
- ^ 東海林さだお『タクアンの丸かじり』121頁。
関連項目
固有名詞の分類
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