V-1の成果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:36 UTC 版)
V-1は、空軍第155対空連隊に配備された。同連隊は大規模な発射設備の他に移動可能なカタパルト式発射機を装備していたと言われている。大規模発射施設は V-1 の存在を事前に察知していた連合軍の爆撃によって破壊されたものもあったが、約半数が生き残り北フランスのカレー地方から19発が発射された。しかしイギリス、ロンドンに到達したのはわずかに1発で、ほかは進路をはずす、途中で墜落するという到達率の低さであった。6月末までに2,000発を発射したものの依然として到達率は低かった。その後1日平均102発を発射、9月はじめまでに計8,564発(諸説あり)が発射されたものの、ロンドンに到達したのは2,340発だった。 最終的には72%が撃墜、または墜落だった。なお、全8,564発中1,912発(22%)はイギリス戦闘機により撃墜、1578発(18%)が対空兵器によって撃墜、278発(3%)は阻塞気球に衝突している。 9月以降は連合国軍がカレー地方に進攻したため、陸上発射を断念、空中発射という方式をとることになる。オランダやベルギーから発進したハインケルHe111に搭載されたV-1はロンドンを目指して飛んだものの、その到達率は陸上発射よりもさらに低く、6.5%となっていた。 10月に連合軍がベルギーのアントウェルペンを奪取すると、今度はこれに矛先を向けることになる。そして年末までに8,698発を発射している。他にベルギーのリエージュに3,141発、ブリュッセルにも151発が発射された。 1945年3月3日からは、オランダから改良され飛行距離の伸びたV-1が再びイギリスにむけて発射される。全275発を発射し、イギリスに到達したのは125発(45%)で、86発(31%)が対空火器で撃墜、4発は戦闘機で撃墜されている。同月28日、2発がロンドンに到達し、翌29日に最後の1発がハットフィールドに落下したのが、V-1の最後の実戦であった。 実際に発射されたV-1は21,770発にのぼり、さらに発射失敗とされているものが2,448発ある。なお、イギリスの被害は死者および重傷者24,165人であり、ヨーロッパ本土での被害は不明。 連合軍ではV-1はパルスジェットの耳障りなエンジン音から「ぶんぶん爆弾(buzz-bomb)」あるいは「ドゥードゥルバグ(doodlebug、ヨーロッパコフキコガネ(英語版)が原義)」、「飛行爆弾(flying bomb)」などと呼ばれていた。そのためV-1飛行爆弾は、ロンドン市民に心理的に大きな影響を及ぼしていたと言われている。当時、夫を戦場に送り、一人シティの弁護士事務所に勤務していたロンドン女性は次のような記録を残している。 そう、あの頃、V-1ミサイルが飛んできましたね。あの新型兵器はぞぉっとするような音を立てながら飛んで来て、エンジンが停止するや地面に突っ込んでゆきました。エンジンが鳴り止んだ瞬間、必ず起こるあの爆発を待つ恐ろしさといったらありませんでした。偶々、午前9時に旧市街のグレイスチャーチ通りをバスで通っておりました時のことです。・・・バスが停車して掃除婦たちがどやどやと乗ってきました。座席についた頃、乗客たちはV-1のぶぅんという低いうなりが近くでしているのに気づきました。と、はたと、V-1のエンジンが鳴り止んだのです。すると掃除婦たちは一人残らず、座席の下へと頭から突っ込んだのです。・・・幸いなことに、V-1はバスを飛び越えて、川の向こう岸で爆発しました また、戦闘機で撃墜可能といっても機銃しか持たない当時の戦闘機では、接近して射撃すると爆発に巻き込まれる危険性があった。この為、ある程度距離をとって射撃するか、右の写真にあるように主翼での接触などで機位を失わせて墜落させるかの方法が必要だった。後者の場合、当然どこかに墜落して爆発した。 戦後のイギリス空軍の評価では、「V-1号はランカスター爆撃機よりも炸薬量あたりの投射コストが安く、効率的な兵器」となっている。
※この「V-1の成果」の解説は、「V1飛行爆弾」の解説の一部です。
「V-1の成果」を含む「V1飛行爆弾」の記事については、「V1飛行爆弾」の概要を参照ください。
- V-1の成果のページへのリンク