V-1の実用化
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1933年頃、フィーゼラー社が空軍に対してこの種の兵器の開発を提案していたと言われるが、空軍は関心を示さなかった。しかし、1942年6月、ドイツ空軍はフィーゼラー社に対してパルスジェットを動力とする飛行爆弾の開発を命じた。開発の理由は、この時期にはもはやイギリス本土に対する有人の双発爆撃機による戦果は期待出来ず、また陸軍が開発中の V-2 への対抗意識もあったと言われている。この飛行爆弾には有人飛行機同様フィーゼラーFi 103 の呼称が与えられたが、兵器の特性上、機密保持の観点から「Kirschkern(サクランボの種)」及び「Flakzielgerät(高射砲標的装置)」と呼ばれ、秘匿される。 なお、パルスジェットエンジン本体はアルグス社、誘導装置をジーメンス社、発射台をヘルムート・ヴァルターの会社が担当したので、フィーゼラー社が携わったのは機体本体のみである。 誘導装置はジャイロスコープによって方向を、アネロイド気圧高度計によって飛行高度を設定し、機首先端にある小さなプロペラの回転数によって飛翔距離を割り出した上で、一定回転数でエンジン停止させることにより、制御装置が機体を急降下させ目標に突入する。パルスジェットエンジンは、この時代に研究されていた他のジェットエンジンに比べると格段に構造が簡単なうえに、大戦当時において他の燃料より調達しやすかった自動車用の低オクタンガソリンで作動できる長所を備えていた。 1942年12月、Fw 200コンドルから投下実験、同12月には V-2 の実験を行っていたペーネミュンデ陸軍兵器実験場 (HVP) の西隣にある空軍兵器実験場カールスハーゲンから、バルト海に向けて試射に成功した。開発を命じてからわずか6ヶ月というスピードであるが、これは V-2 が新技術を大量に導入したのと比して、極めて単純な構造であったためである。こうして、この新兵器は、長距離ロケット V-2 のライバルとなった。イギリスに対する長距離攻撃兵器として V-2 とどちらを採用するかは、新たに発足された長距離攻撃委員会に委ねられた。 1942年5月26日、長距離攻撃委員会の委員はペーネミュンデで討議を行い、結局はどちらも生産するという結論に達した。委員は発射見学をするが、このとき V-2 は50%の成功確率であったにもかかわらず2回中2回成功、かたやV-1は2回中ともに墜落という不運に見舞われる。当然、軍は V-2 に注目、割りを食ったV-1は1944年6月にようやく実戦配備となる。実にノルマンディー上陸作戦の1週間後である。
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