V-1の実用化とは? わかりやすく解説

V-1の実用化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 15:36 UTC 版)

V1飛行爆弾」の記事における「V-1の実用化」の解説

1933年頃、フィーゼラー社が空軍に対してこの種の兵器の開発提案していたと言われるが、空軍関心を示さなかった。しかし、1942年6月ドイツ空軍はフィーゼラー社に対してパルスジェット動力とする飛行爆弾開発命じた開発理由は、この時期にはもはやイギリス本土対す有人双発爆撃機による戦果期待出来ず、また陸軍開発中V-2 への対抗意識もあったと言われている。この飛行爆弾には有人飛行機同様フィーゼラーFi 103呼称与えられたが、兵器特性上、機密保持観点から「Kirschkern(サクランボの種)」及び「Flakzielgerät(高射砲標的装置)」と呼ばれ秘匿される。 なお、パルスジェットエンジン本体アルグス社、誘導装置ジーメンス社発射台ヘルムート・ヴァルター会社担当したので、フィーゼラー社が携わったのは機体本体のみである。 誘導装置ジャイロスコープによって方向を、アネロイド気圧高度計によって飛行高度設定し機首先端にある小さなプロペラ回転数によって飛翔距離を割り出した上で一定回転数エンジン停止させることにより、制御装置機体急降下させ目標突入するパルスジェットエンジンは、この時代研究されていた他のジェットエンジン比べる格段に構造簡単なうえに、大戦当時において他の燃料より調達しやすかった自動車用の低オクタンガソリンで作動できる長所備えていた。 1942年12月Fw 200コンドルから投下実験、同12月には V-2実験行っていたペーネミュンデ陸軍兵器実験場 (HVP) の西隣にある空軍兵器実験場カールスハーゲンから、バルト海向けて試射成功した開発命じてからわずか6ヶ月というスピードであるが、これは V-2新技術大量に導入したのと比して極めて単純な構造であったためである。こうして、この新兵器は、長距離ロケット V-2ライバルとなったイギリス対す長距離攻撃兵器として V-2 とどちらを採用するかは、新たに発足された長距離攻撃委員会委ねられた。 1942年5月26日長距離攻撃委員会委員ペーネミュンデ討議行い結局はどちらも生産するという結論達した委員発射見学をするが、このとき V-250%成功確率であったにもかかわらず2回中2成功、かたやV-1は2回中ともに墜落という不運に見舞われる。当然、軍は V-2注目割り食ったV-11944年6月にようやく実戦配備となる。実にノルマンディー上陸作戦1週間後である。

※この「V-1の実用化」の解説は、「V1飛行爆弾」の解説の一部です。
「V-1の実用化」を含む「V1飛行爆弾」の記事については、「V1飛行爆弾」の概要を参照ください。

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