タイムズビーチ
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| タイムズビーチ Times Beach |
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|---|---|
タイムズビーチ橋(2022年撮影) |
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| 位置 | |
| 座標 : 北緯38度30分31秒 西経90度36分09秒 / 北緯38.50861度 西経90.60250度 | |
| 歴史 | |
| 設立 | 1925年 |
| 自治体廃止 | 1985年4月2日 |
| 建造物撤去完了 | 1992年 |
| 行政 | |
| 国 | |
| 州 | |
| 郡 | セントルイス郡 |
| 町 | タイムズビーチ |
| 人口 | |
| 人口 | (現在) |
| 町域 | 0人 |
| その他 | |
| 等時帯 | 中部標準時 (UTC-6) |
| 夏時間 | 中部夏時間 (UTC-5) |
| ZIPコード | 63025 |
タイムズビーチ(英語: Times Beach)は、アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス郡にかつて存在した町(ゴーストタウン)。同州セントルイスの南西17マイル(27km)、ユーレカの東2マイル(3km)に位置していた。最盛期には2000人を超える人口を抱えていたが、TCDD[注釈 1]による環境汚染により1983年初頭には完全に無人となった。タイムズビーチの事例は、かつてアメリカ合衆国において、住民の化学物質曝露事案として最大のものであった。
1985年、ミズーリ州は公式に自治体としてのタイムズビーチを廃止した。タイムズビーチの跡地は、現在、1999年に開場した広さ419エーカー(170ha)の州立公園に組み込まれている[1]。この州立公園は、国道66号線と共にタイムズビーチ地域の歴史を記念している[2]。イリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカへと至る有名な国道66号線は、タイムズビーチの南端を通過していた。2001年、アメリカ合衆国環境保護庁(英語: United States Environmental Protection Agency、EPA)は、タイムズビーチをスーパーファンドリストから削除した[3]。
歴史
タイムズビーチは、メリマク川の南西にある氾濫原に1925年に開発された場所で、今は亡きセントルイス・スタータイムズ紙によって広く公告された。6か月に亘る広報で、67.50ドル[注釈 2]の費用がかけられ、その中にはかつて農地だった20x100フィート(6.1x30.5m)の区画も含まれていた[2][4]。
開発初期は、この町は主に避暑地とされていたが、世界恐慌とそれに続く第二次世界大戦中のガソリン配給により、別荘の維持が困難になっていった。町は、ほとんどが低所得者向け住宅の町となり、第二次世界大戦後も1970年まで人口の少ない町であった[5]。全住民が突然退去するまでの数年間、タイムズビーチは下層中流階級の町となっていた[4]。
歴史を通じて洪水の被害に遭いやすい場所であり[注釈 3]、1982年12月には町を荒廃させる規模の洪水が襲っている。この洪水は、アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)が土壌を汚染するダイオキシン類の確認を行っている最中に発生し、1985年の町の廃止[1]と1992年まで行われた建造物完全撤去の要因となった[6]。町は、1985年4月2日にミズーリ州知事・ジョン・アシュクロフト(英語: John Ashcroft)の州知事令によって廃止された[7]。
タイムズビーチの事例は、ザ・ヒストリー・チャンネルの『モダン・マーヴェルズ』のエピソード「Engineering Disasters 20」で採り上げられた[8]。
ダイオキシン類による汚染
危機発生までの歩み
NEPACCOによる化学廃棄物処理
1960年代後半の間、ノースイースタン・ファーマスティカル・アンド・ケミカル・カンパニー(英語: Northeastern Pharmaceutical and Chemical Company, Inc.、NEPACCO)は、ミズーリ州南西のヴェローナ近郊で、工場の運用を始めた。この工場は元々、ベトナム戦争で使用された枯葉剤を製造していたことで知られるホフマン=テフ(英語: Hoffman-Taff)が所有していた[9]。1972年にNEPACCOが事業を停止した時点で、ホフマン=テフはシンテックス・アグリビジネス(英語: Syntex Agribusiness)に買収されていた[10]。
1970年から1972年の間、NEPACCOは主に、 2,4,5-トリクロロフェノール(英語: 2,4,5-trichlorophenol) (1)とホルムアルデヒド(英語: formaldehyde) (2)から、石鹸や歯磨き粉の抗菌剤や住宅用消毒剤として使用されるヘキサクロロフェン(英語: hexachlorophene) (3)の製造を行っていた[9][10]。
2,4,5-トリクロロフェノールは、1,2,4,5-テトラクロロベンゼン(英語: 1,2,4,5-tetrachlorobenzene)が水酸化ナトリウム(英語: sodium hydroxide)との芳香族求核置換反応で合成された。不幸なことに、結果的に生じたフェノールの瞬間二量化により、微量の2,3,7,8-テトラクロロジベンゾジオキシン(英語: 2,3,7,8-Tetrachlorodibenzodioxin、TCDD)が生成された。TCDDは、人体に対して急性、慢性両方の健康被害をもたらす事が知られる非常に毒性の強い化合物である[10]。
3~5ppmのダイオキシン類を含む2,4,5-トリクロロフェノールの製造工程を始めるにあたり、NEPACCOはダイオキシン類の濃縮を低減し、ヘキサクロロフェン内に0.1ppmの濃度とすることを可能とした[11]。この精製工程の結果、高濃度に濃縮されたダイオキシン類が底に溜まっていたり、厚い油状の残留物として保管され、蓄積されていった。この保管タンクは、ヴェローナ近郊の工場に保管されていた。NEPACCOが操業を始めた時、底にダイオキシン類が残る廃棄物は焼却処分するためにルイジアナ州の廃棄物処理施設に送られた[9]。当時は焼却処分がダイオキシン類の処理方法としては最良の方法であったものの、その処理費用は非常に高額なものでもあった。より低コストな手法が模索され、NEPACCOはインディペンデント・ペトロケミカル・コーポレーション(英語: Independent Petrochemical Corporation、IPC)との役務契約に至った[11]。
1971年2月から10月の間、廃棄油運送業者のラッセル・ブリス(英語: Russell Bliss)はトラック6台分[注釈 4]のダイオキシン類に重度に汚染された化学廃棄物を回収した。ブリスは、この回収した廃棄物のほとんどをミズーリ州フロンテナックの近傍にある彼の所蔵施設に送った。そこで汚染されたNEPACCOの廃棄物は、荷下ろしされ、使用済みモーターオイルの保管タンクに投入された。それに続いて、この汚染された油の一部はイリノイ州の燃料会社MT・リチャーズ(英語: MT Richards)や、ミズーリ州オーバーランドのミッドウェスト・オイル・リファイニング・カンパニー(英語: Midwest Oil Refining Company)に売却された[9]。
最初の汚染
廃棄オイルの商売に加えて、ブリスは馬場と農場を所有していたが、迷惑な埃への対策として廃棄オイルを散布した。この手法は数か月の間、埃を抑制した。ブリスの施設を訪れる人々に、この手法の効果を発揮具合を強く印象に残した。そして、彼の防塵サービスを人々が採用し始めるまでにそれほどの時間はかからなかった[11]。
1971年5月26日、ミズーリ州モスコーミルズ近郊に位置するシェナンドー厩舎(英語: Shenandoah Stable)のオーナーであるジュディ・ピアット(英語: Judy Piatt)とフランク・ハンペル(英語: Frank Hampel)は、彼らの室内飼育場の床に廃棄オイルを散布するためにブリスに150ドルを支払った[9][12]。室内に散布された廃棄オイルは合計2,000ガロンに上り、尋常ではなく厚く塗布されたため、刺激臭や焦げた臭いが残ることとなった[11][13]。塗布から数日のうちに、納屋の垂木から鳥たちが死んで落下し、馬たちは潰瘍を発症したうえに脱毛の症状が現れるようになった。この事態について、ピアットとハンペルはブリスを糾弾したが、ブリスは関連性について否定し、散布した物質は古いモーターオイルでしかないと主張した[9]。
この疑念への対応として、ピアットとハンペルは飼育場全体の床の土を深さ6インチ(約15.2cm)にわたって除去し、埋立処分した。その数か月後には、更に12インチ(約30.5cm)の土を除去したものの、飼育場に入った馬たちは病魔に冒された[11]。数か月後には、62頭の馬が死ぬか異常なほど痩せ衰え、安楽死させざるを得ない状態となった。ハンペルとピアットに加えてピアットの2人の若い娘もまた病魔に冒され、頭痛、鼻血、腹痛、下痢に苦しめられることになった[13]。
シェナンドーでの散布から1か月後、ブリスはミズーリ州ジェファーソンシティ近郊のティンバーライン厩舎(英語: Timberline Stables)で散布を行い、その結果、12頭の馬を死に至らしめた上、飼育場に晒された子供たちはクロロアクネ[注釈 5]と診断された[11][14]。ブリスの散布するオイルがこれらの問題の原因であるという疑いから、ティンバーライン厩舎のオーナーたちも彼らの施設の表土の除去を行っている[11]。
ミズーリ州セントルイス近郊のバブリング・スプリングス牧場(英語: Bubbling Springs Ranch)が3番目の飼育場となり、ティンバーライン厩舎と同時期にブリスによる散布が行われ、同様の問題に直面している。シェナンドー厩舎とティンバーライン厩舎と同じく、この牧場のオーナー達も飼育場の表土を除去するという決断に至った。道路整地業者のヴァーノン・スタウト(英語: Vernon Staut)は、1973年3月に除去を完了させた。スタウトは除去した土を埋め立て処分場に持ち込むのではなく、ハロルド・ミンカー(英語: Harold Minker)の自宅近くの彼の所有する土地に運び込んだ[11]。
CDCによる調査
シェナンドー厩舎で発生している原因不明の家畜の死や病気は、すぐにアメリカ疾病予防管理センター(英語: Centers for Disease Control and Prevention、CDC)の注意を惹くこととなった。1971年8月、シェナンドー厩舎の検査を完了させ、加えて人と動物の採血、そして土壌サンプルの収集を行った[9]。最初の検査で、シェナンドー厩舎の土壌からはポリ塩化ビフェニル(英語: Polychlorinated Biphenyl、PCB)や塩素系殺虫剤が検出されていたにも関わらず、CDCは原因となる化学物質を同定できなかった。この状況は1973年まで続いたが、同年の試験で遂にトリクロロフェノール(英語: Trichlorophenol)が存在することが明らかになった[13]。微量のトリクロロフェノール汚染物質が兎の耳の内側の皮膚に発生した水ぶくれから検出された。この症状は、トリクロロフェノールに晒されたことにより発症する特徴的な症状である[9]。しかしながら、症状のあらわれた兎の予期せぬ死により、CDCは更なる化合物検出検査を続けることになった。
1974年7月30日、CDCはシェナンドー厩舎から採取された土壌中に、5,000ppmのトリクロロフェノールと1,590ppmのPCBに加えて、30ppmを超える量のダイオキシン類が含まれていることを発見した[13]。ダイオキシン類の人体への影響についてはわずかに知られている状況だったものの、動物への致死性の高さが警告されていた。その結果、CDCは直ちに同様に汚染されている箇所の確認を開始した。CDCに対峙した際、ブリスはダイオキシン類がどこから混入したのか分からないと述べた。
ダイオキシン類は、一握りの化学物質の生成過程で発生する副産物であり、トリクロロフェノールの生成工程が最も一般的であったことから、CDCは範囲をミズーリ州でトリクロロフェノールを使用、または製造している企業に絞って調査を行った。NEPACCOは、この調査リストに掲載された企業の中で、唯一ブリスと繋がりがある企業だった[11]。
アメリカ食品医薬品局(英語: Food and Drug Administration、FDA)がヘキサクロロフェンの使用を制限する禁止令を発令したことで、NEPACCOは1972年に事業を停止していた。この禁止令は、フランスでベビーパウダーに混入した高濃度のヘキサクロロフェンに曝露した32名の幼児が死亡したことに端を発していた[9]。ヴェローナにあるNEPACCOの旧施設[注釈 6]の調査の中で、CDCはNEPACCOが残した4,300ガロンの充填された古いタンクの中に、340ppm以上に濃縮されたダイオキシンが残留していることを明らかにした。ヴェローナの工場近くに焼却施設が無かったため、この残置物の処理は1979年まで終わらなかった[11]。
更なる汚染地域の調査によって、CDCはミンカーとスタウトの土地の住民に対して、土への接触を最小限にする様、勧告した。土壌サンプルから、ミンカーの土地からは0.85ppmのダイオキシン類が検出され、スタウトの土地からも0.44ppmの濃度で検出された。1975年のアメリカ合衆国環境保護庁(英語: United States Environmental Protection Agency、EPA)へ機密報告で、CDCはこれらの土地から汚染された土を除去の上、埋立処分することを勧告した。しかしながら、この文書の中でCDCはダイオキシン類の半減期は1年であるとも報告した[15]。最終的にこの報告は誤りであることが判明しているが、この推定をもとに、ミズーリ州政府は推奨された汚染地の除去を見合わせている[11]。現在では。ダイオキシン類の半減期は7年から11年であると推定されている[16]。
EPAの介入
EPAは、1979年までミズーリ州のダイオキシン汚染に深くかかわることはなかったが、NEPACCOの元従業員が有毒物質に汚染された廃棄物をヴェローナから7マイルほどの位置にある農場に埋めたことを報告したことで様相が変わった。NEPACCOは農場のオーナーであるジェームズ・デニー(英語: James Denny)に150ドルを支払い、彼の土地を利用していた。EPAによる調査が行われ、90本のドラム缶を掘り起こした。これらは腐食し、内容物が流出していた。これらの内、11本ドラム缶にはダイオキシン類を含む残留物が含まれており、その濃度は高いところで2,000ppmに上った[15]。
1982年5月と6月、EPAはミンカーとスタウトの土地と同様に、シェナンドー厩舎、ティンバーライン厩舎、そしてバブリング・スプリングス農場に再調査することを決定した。新たな土のサンプルは、数年前にCDCが行った試験結果から、ダイオキシン類の濃度が全く低下していないことを明らかにした。EPA支庁は汚染された農場のオーナーに対して一時的な閉鎖と、EPA本庁に対して各汚染地の除染作業を早急に実施することを求めた。しかし、ワシントンD.C.のEPA本部でアシスタント・アドミニストレーターを務めていたリタ・ラヴェル(英語: Rita Lavelle)が、EPAは汚染の存在を更に解明するために、追加で600箇所の土壌採取とテストを行う予定だと公表したことで、この要求は遅れることとなった[要出典]。
1982年暮れにミズーリ州内14の土壌汚染された箇所と41の土壌汚染された可能性がある箇所がリストアップされたEPAの文書が流出し、公益NPO・環境防衛基金(英語: Environmental Defense Fund、EDF)の手によって公にされたことで、このミズーリ州の事案に対するEPAの動きは、国全体から注目されることになった。タイムズビーチの町はリストアップされた箇所の一つであった。また環境防衛基金は、EPAはより低濃度のダイオキシンの標準除染手法について決めなければならないと指摘した。CDCが、0.001ppm程度のダイオキシン濃度の箇所の除染に関しても助言していたにもかかわらず、環境防衛基金の報告書では、新たなEPAの手法は、このCDCの助言の100倍の濃度である0.1ppm以上にダイオキシンが濃縮された場所の除染だけを必要としていると示していた[9]。
タイムズビーチでの危機
2つの災害
1972年、タイムズビーチは23マイルの未舗装路[注釈 7]に油を撒くためにブリスを雇用した。合計2,400ドルが支払われ、ブリスは4年をかけてタイムズビーチの町に合計で約16万ガロンの廃油を散布した[15]。漏洩したEPAの文書によると、タイムズビーチの当局は1982年になって初めて廃油が汚染されていることを把握したとされる[13]。住民たちはEPAが自宅周辺で毒物汚染が発生しているにもかかわらず、住民への説明が全くなかったことに不信感を抱き、公に非難した[15]。タイムズビーチが汚染地リストの中で最も大きな人口を抱えていたことから、必然的に国内メディアの注目がタイムズビーチに集まることになった[要出典]。
公からの圧力が高まったことで、EPAはタイムズビーチの調査を短期間で開始した。1982年末にメリマク川が危険水位を14フィート超え、今までで最大の洪水を起こし、タイムズビーチは被災したが、EPAの土壌サンプル収集は幸運なことにこの洪水発生前の1982年12月3日に完了した[12][15]。洪水によりタイムズビーチの住人たちは避難し、洪水の水が引くまでにEPAは分析の結論を出した。この分析結果によると、タイムズビーチの道路網のほとんどで0.3ppmの濃縮されたダイオキシンを検出した[11]。
土地の買上と浄化の取組
1982年12月23日、CDCは公にタイムズビーチに再度居住しないことを勧告した。行政側は、ダイオキシン類に長期間曝露した場合の健康影響について不明確な状態であるとし、加えて町全体のダイオキシンの除去方法については更に不明な状況にあった。町が氾濫原に築かれたという状況のため、行政側は更なる洪水の発生により、人に制御できない汚染拡大を招く事態を憂慮していた[9]。
連邦政府による土地の買上に関する議論が1983年1月7日に始まったが、この時の大統領、ロナルド・レーガン(英語: Ronald Reagan)は、EPA、CDC、アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(英語: Federal Emergency Management Agency、FEMA)、そしてアメリカ陸軍工兵司令部(英語: Army Corps of Engineers)の代表者から構成される「タイムズビーチ・ダイオキシン・タスク・フォース(英語: Times Beach Dioxin Task Force)」を結成した。1983年2月22日の記者会見中に、EPAは連邦政府が、約3,670万ドルと算定されたタイムズビーチの800の住民の資産と30の企業を買収するにあたり、3,300万ドルを支出する予定であると公表した。残る370万ドルについては、州政府が負担する予定とされた[15]。
1985年までにタイムズビーチの2,000人を超える全ての住民が移住し、ミズーリ州知事・ジョン・アシュクロフトは、町を廃止する命令を発効した[17]。
この土地には、ミズーリ州の全ダイオキシン類の50パーセントを超える量が含まれており、タイムズビーチは論理的な結論として新たなごみ焼却場用地となった。この焼却場の建設は1995年6月に始まった。建設完了後、この焼却炉には合衆国中からダイオキシン類に汚染された26万5千トンを超える廃棄物が集められ、焼却処分された。このミズーリ州での処理は1997年に完了し、その費用は2億ドル近くに達した[9][13]。
法的対応と責任
この出来事の結果、1970年代のミズーリ州において、いくつかの州法によって有害物質の製造と処分を認めていたことが知れ渡った。1976年、連邦議会において有害物資規制法(英語: Toxic Substances Control Act、TSCA)が成立し、環境リスクがある可能性のある価格物質について、検査を義務付けた。連邦議会は更に同年に資源保全回収法(英語: Resource Conservation and Recovery Act、RCRA)を成立させ、汚染された廃棄物の移送と処分に関する規制を行った[15]。1980年、包括的環境対応・補償・責任法(英語: Comprehensive Environmental Response, Compensation, and Liability Act、CERCLA)の成立により、数十億ドル規模で過去に放棄された汚染廃棄物処分場の調査と浄化を行う必要があるスーパーファンドが設立された。
CERCLAの成立は更に、企業の責任について定義し、環境汚染や環境破壊が発生した場合、有害物質の漏出に関する責任を負うことを明文化した。1983年、連邦政府はNEPACCOと同社役員のエドウィン・マイケルズ(英語: Edwin Michaels)とジョン・W・リー(英語: John W. Lee)を告訴した。CERCLAの条文の下、NEPACCOは10年以上前に90本の化学廃棄物を埋めたジェームズ・デニーの農場について、連邦政府行った浄化作業に関して返済を求められた[11][18][19][20]。
RCRAは1976年まで施行されなかったため、ブリスはNEPACCOから収集した化学廃棄物に関して記録を残すことを法的には求められなかった。ミズーリ州でのダイオキシン類汚染の周辺調査の間も、ブリスはNEPACCOから収集した化学廃棄物中のダイオキシン類の存在に関する情報を知らないままであった[12]。それでも、ブリスは多数の法的訴訟を起こされた。14,000人を超える市民がNEPACCOとその役員、シンテックス・アグリビジネス、IPC、そしてブリスを告訴した[11]。これらの中で、ピアットとハンペルのケースでは、彼らは1976年にブリスに対して1万ドル、IPCに10万ドルの損害賠償を求める訴訟を起こした。1981年には、ピアットとハンペルはNEPACCOに6万5千ドルの損害賠償請求訴訟を追加で起こしている。この結果、IPCは1983年にピアットの2人の娘にそれぞれ100万ドルを支払った[15]。
汚染の結果
1982年に移住の決定は、タイムズビーチの住民たちの安全面と重大性の面から最良のものであったが、その買上は簡単には進まなかった。800の家族が住む場所を完全に離れる必要があった。当初、大人たちは金銭的補助のため何処で何をするのかに関して危惧していた。彼らが新たな土地での生活を始めると、彼らの移動と金銭面の憂慮は、彼らの子供たちが突然の慢性疾患に罹患するかもしれないという恐怖に取って代わられた。移住による心理的トラウマは計り知れないものであった[9]。
かつてタイムズビーチが存在した土地は、現在ではルート66州立公園となっている。町があった時に存在した建物が1棟のみ残っている。現在は公園のビジターセンターとして利用されており、町が現役の時にはロードハウスとして使用され、この地域のEPAの本部としても利用されたことのある建物であった。かつての町の建物を取り壊した瓦礫の上に広大なグラスマウンドが築かれている[21]。EPAは2012年6月にルート66州立公園を再訪し、土壌試験を行った。その結果は、同年11月19日に、「ルート66州立公園から採取した土壌からは、公園利用者や勤務者に対して顕著な健康リスクとなるようなものは発見されなかった」と報告されている[22]。
論争
集団移住から数か月後、アメリカ医師会(英語: American Medical Association、AMA)は、マスメディアがダイオキシン類やその健康リスクに関する非科学的な情報の拡散を非難する声明を公表した。その中でAMAは、低濃度ダイオキシン類に曝露したことによる悪影響に関して確証はないと述べた[23]。その後に行われたタイムズビーチやミズーリ州の他の汚染地域の人々でダイオキシン類に曝露していた可能性のある人々を対象とした研究の結果、ダイオキシン類と健康への悪影響を直接結びつける証拠は発見されなかった[15][信頼性要検証]。CDCとミズーリ州保険局が実施したこの研究では、タイムズビーチの住人の中でクロロアクネの症状[注釈 5]は観測されず、これ以外の疾病についても有意な増加はなかった[14]。
1991年5月までに、CDCの環境保健センターの責任者だったヴァーノン・ホーク(英語: Vernon Houk)は、AMAと同じ結論に達した。彼は、1982年にタイムズビーチの住人の恒久的移住を公的に推奨した人物であったが、1991年までに、すでに彼は移住が必要であったとは考えないようになっていた[24][より良い情報源が必要]。
関連項目
- ボパール化学工場事故
- セントラリア (ペンシルベニア州)
- ラヴキャナル
- 国家優先事項リスト
- ピチャー
- プリピャチ
- セベソ事故
- ハフォディリニス
- ウィットヌーン
注釈
脚注
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外部リンク
- Satellite Image from Google Maps (The old Times Beach roads are vaguely visible.)
- "Times Beach, Mo., Board Moves to Seal Off Town", New York Times, April 27, 1983.
- "Times Beach, Mo., Votes Itself Out of Existence", New York Times, April 3, 1985.
- US Department of Justice news release announcing that the cleanup of Times Beach is complete.
- Times Beach: Superfund Site Profile: Superfund Site Information, US EPA
- TIMES BEACH SITE, MISSOURI, EPA ID# MOD980685226, earlier US EPA document
- Times Beach One-Page Summary, Superfund Redevelopment Program, US EPA (archived 2016)
- タイムズビーチのページへのリンク