スバル360
1958年3月発表、5月発売。当時の軽規格に入る乗用車で、356ccの2ストローク2気筒・空冷16psエンジンをリヤに積んでいた。横H型ノンシンクロ3速MTで、最高速は公称83km/h。ボディはモノコック方式で、これには航空機技術が生かされた。サスペンションは4輪独立で、フロントはトレーリングアーム/トーションバー+コイル、リヤはスイングアクスル/コイル。価格は42万5000円(のちに量産化が進み、価格は37万5000円になった)。
59年8月、コンバーチブルを発売(39万円)。12月にはコマーシャルバン(35万円)を追加した。60年9月、エンジンを18psにパワーアップ。10月、423cc・23psエンジンの450(5ナンバー車)を加え、360と併売した。63年12月には副変速機付き、64年4月にオートクラッチ付き。7月にはエンジンオイルを分離式としたスバルマチックを発売した。最高出力は20psにアップし、最高速も90km/hから100km/hになった。65年10月、燃料タンク容量を25Lに改め、ワンキーシステム採用。66年10月、バンパー形状を変え、ドアポケット新設。67年9月、内装一新、黒パッド・ダッシュボードに変身した。
68年9月、エンジンの圧縮比を上げ、最高出力は25psになった。11月には360cc軽乗用車の高性能化の波に合わせて、25psヤングSと36ps(圧縮比7.5、SUツインキャブレーター仕様、最高速120km/h)のヤングSSを発売。しかし、69年8月に後継車R-2が登場し、360は販売を打ち切った。360のネーミングは一代。12年間、モデルチェンジしなかった。
スバル・360
(Subaru360 から転送)
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スバル360(SUBARU 360)は、富士重工業(現・SUBARU)が開発した軽自動車である。1958年から1970年までのべ12年間に亘り、約39万2,000台が生産された[1]。
注釈
- ^ SUBARU公式サイトでも、この表記で統一されている。
- ^ それまでは、2ストロークエンジン=240cc以下、4ストロークエンジン=360cc以下という規格だった。当時は同じ排気量なら4ストロークより2ストロークのほうが高出力であると考えられていたゆえの差別化だったが、これが撤廃されたものである。
- ^ 一例として、長野県松本市に本社工場を置いていた石川島芝浦機械(現・IHIシバウラ)は1955年にリアエンジン・オープンボディの軽4輪車「芝浦軽四輪MR-2型」を開発した。同社の開発陣で、旧制松本高校(現・信州大学)で百瀬晋六と同窓生だった者が、スバル360の開発初期、太田工場にMR-2型を運転して訪れ、百瀬の評を乞うた。しかし、芝浦軽四輪を実見した百瀬は、自動車としての水準の低さを見て取り、率直に酷評したという。全長×全幅×全高(mm)=2830×1210×1200というサイズで完全2座のMR-2型は、空冷4ストローク単気筒325 ccのサイドバルブエンジン搭載で、出力は僅か8 PS/4000 rpm、最高速度60 km/hに留まっていた。そのデザインもダミーグリル付のゴーカートもどきで、市販には至らなかった。大手企業の系列会社であっても、一般にはこの程度の軽自動車しか開発できなかったのである。
- ^ モータリゼーションが本格化する前の1950年代当時、日本国内には地方の山間部に至るまで緻密な路線バス網が形成されていた。道路整備以前の時代で、未舗装で凹凸の続く泥濘路や極端な狭隘路も少なくなかったが、当時の路線バス車両は、小回りが利くボンネット型車体や、大きなタイヤによる十分なロードクリアランス、頑丈なリーフスプリング支持固定車軸を備え、かろうじて車道と言える程度の悪路でも幅員さえクリアできれば、低速ではあるが踏破することができたのである。当時の日本での道路状況を考慮すれば、同時代の路線バスに比肩する悪路踏破性能達成は、市販乗用車としても十分に意味のある目標ラインであった。
- ^ 開発コードは「K-10」
- ^ 実際、先行した前輪駆動のスズライトは旧式な不等速ジョイントがドライバビリティのネックとなっており、またほぼ同時期に開発作業が進められていたトヨタ・パブリカは、当初前輪駆動を計画していたものの、技術的克服を成し得ず、開発中途でコンベンショナルなフロントエンジン+後輪駆動に設計変更されている。
- ^ これにより通常タイプの最終型スバル360は最高速度110km/h・連続巡航速度100km/hを公称した。またスポーツモデルのヤングSS用には36PSを捻出する派生版の高出力型EK32が搭載されている。
- ^ これを活かしてユーザー間に「左膝でシフトレバーを押し、手を使わずに2→3速のシフトアップをやってのける」横着な操作法が編み出されたことは初期スバルの有名なエピソードとなっている。
- ^ スバル発売翌年の林崇によるレポート「市販軽三・四輪車試乗感想」(「モーターサイクリスト」1959年5月号)では、東京から富士山麓へと巡るスバル360の長距離ドライブテストで、走りや乗り心地に優れた総合性能を評価しながらも、ペンタルーブオイルの指定について「この混合用オイルは、まだ全国的に普及しておらず、われわれ一行のテストでもペンタルーブを売っているガソリンスタンドを捜すのに時間を要し(以下略)」「この点、メーカーとオイル業者との協調と対策が必要」など、2ストローク用燃料の混合の難しさと併せての批判・指摘がみられる。ガソリンスタンドや自動車関連の小売店などの周辺流通インフラが未熟だった、日本のモータリゼーション黎明期の実情がうかがえる。
- ^ なおスバル360は極端に軽量であったため、たとえ大きく横転して仰向け状態になっても、大人2、3人がかりで元通りに引き起こしてしまうことができた。これまた超軽量車ならではである。
- ^ 赤城山南麓からの登山道路は関東平野北端の海抜150m付近から続く長い片勾配ルートであるが、海抜500m付近から勾配が著しく急峻となり、ここから10km以上に亘って、赤城外輪山の峠である新坂平(海抜1400m付近)まで過酷な急坂が続く。
- ^ 赤城山登坂成功の時期については、古くから1957年8月との説が伝えられ、桂木洋二「てんとう虫が走った日―スバル360開発物語」(グランプリ出版 1987年)でもこれに準じる説を取っているが、2005年刊行の「富士重工業技術人間史」(富士重工業株式会社編集委員会 編)p164では「2月4日に赤城全開登山に成功した資料が今回発見されたので、本書ではその内容で記載した」と記述されている。この時代は他の自動車・オートバイメーカーでも日程に余裕のない状態での試走から試験入りがしばしば生じており、メーカー自身の公式な記述によることからも信憑性の高い記述であるが、一方、冬の赤城山の寒冷な気候は夏に比べるとエンジン冷却には有利であり、テスト条件として必ずしも極限状態でなかったともとれる。また、寒冷地での耐寒テストについて「てんとう虫が走った日」では軽井沢で暖房等のテストを実施したことが記載されており、その方面で冬季の赤城山を利用したとは記述していない。
- ^ 中川と百瀬は共に戦前・戦中は中島飛行機の技術者であり、中川は戦闘機用エンジン誉を設計、百瀬は同エンジンの高高度用の改造を担当している。また、長谷川と百瀬は同じ旧東京帝国大学航空学科の卒業生であり、長谷川は立川飛行機に入社してB29迎撃用戦闘機キ94の設計を担当している。
- ^ 発売当初は4ドアセダンのみの設定だったが、1967年2月には2ドアセダンが、同年9月には4ドアバンがそれぞれ追加された。
出典
- ^ a b c d e “スバル360”. 名車文化研究所 (2019年11月21日). 2024年4月24日閲覧。
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第2号20ページより。
- ^ “『グランツーリスモ5』 - 収録車種一覧”. ポリフォニー・デジタル. 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b c d e “ライバル/スバル360vsホンダN360”. 名車文化研究所 (2019年10月10日). 2024年4月24日閲覧。
- ^ a b 『てんとう虫が走った日』48頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』52頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』68頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』71頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』59-60頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』95-96頁
- ^ a b 『てんとう虫が走った日』82-83頁
- ^ a b 『てんとう虫が走った日』60頁
- ^ a b 『てんとう虫が走った日』79頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』80頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』81頁
- ^ 『360cc軽自動車のすべて』15頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』90-91頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』92-93頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』111頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』115頁
- ^ a b c d “【昭和の名車 21】スバル 360 ヤングSS(昭和43年:1968年)”. Webモーターマガジン (2019年7月5日). 2024年4月24日閲覧。
- ^ 『てんとう虫が走った日』130頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』75頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』85頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』85-86頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』121-122頁
- ^ a b 『てんとう虫が走った日』144頁
- ^ a b c d 『プロジェクトX 挑戦者たち 9』118頁
- ^ 2001年5月8日放送 NHKプロジェクトX 第51回『日本初のマイカー てんとう虫 町を行く~家族たちの自動車革命~』、2021年(令和3年)6月15日 プロジェクトX 4Kリストア版として放送では、24分30秒と紹介されている。
- ^ 『てんとう虫が走った日』145頁
- ^ a b 『てんとう虫が走った日』7-8頁
- ^ 『てんとう虫が走った日』10頁
- ^ 富士重工三十年史 1984, p. 153.
- ^ “History” (2024年3月2日). 2024年3月2日閲覧。
- ^ “「えっ?これ全部軽自動車?」60’s初期日本GPを盛り上げた3つ巴の大決戦!スバル 360 vs スズキ フロンテ vs マツダ キャロル【推し車】”. MOBY (2023年7月2日). 2024年4月30日閲覧。
- ^ a b “スバル360ストーリー”. スバル博物館. 2024年4月30日閲覧。
- ^ “スバル360が日本機械学会の機械遺産に選定!”. clicccar.com(クリッカー) (2016年7月26日). 2019年6月28日閲覧。
- ^ “旧伊勢崎製作所第2工場の解体工事完了と「スバル360発祥の工場レンガ壁モニュメント」の完成について”. 富士重工業 (2003年6月12日). 2020年6月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “360カスタム”. 名車文化研究所 (2020年7月9日). 2024年1月18日閲覧。
- ^ a b c d e f “SUBARU360 ヤングS&SS(スペック表)”. 名車文化研究所 (2021年9月15日). 2024年1月18日閲覧。
- ^ a b c d e “SUBARU360 ヤングS&SS”. 名車文化研究所 (2021年9月15日). 2024年4月24日閲覧。
- ^ “スバル ヤングSS”. SUBARUオンラインミュージアム. 2024年4月24日閲覧。
- ^ a b c “スバル450”. 名車文化研究所 (2020年6月8日). 2024年1月18日閲覧。
「Subaru 360」の例文・使い方・用例・文例
- 紀元前360年に
- 新宿駅です。1日に約360万人が利用しています。
- 望楼からは市の眺めを360度見渡すことができる。
- 360度評価の導入により、公正な人事評価制度の実現が期待できます。
- Xbox 360については「いいハードです」と開口一番切り出した。
- フクロウは頭をほとんど 360 度の全方向に回すことができる.
- (天体について)絶えず1日の動きの360度全てで、地平線より上に見える
- 360度水平に回転できる照準器(大砲用の拡大鏡装置)
- 南中央のスリランカの山頂(標高7,360フィート)
- 1つの円は360度だ
- 3600クーロンに等しい、電荷の単位
- 0度または360度を示す、基本的な羅針盤の方位
- 180度より大きい(ただし360度より小さい)角
- 360度の角
- 180度を越える360度未満の角度の角
- 360゜回転できるようになっているクレーン
- ドウロ川両岸のぶどうの段々畑は,高度360メートルから520メートルに位置しています。
- 前の7作の販売数は,合計で3600万本に達した。
- 21チーム,計189人の参加者が,パリまでの3607キロのコースで競い合っている。
- 先日,マイクロソフトが次世代ゲーム機Xbox 360を日本で発売した。
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