ヴァン・ダイン・S・S(S・S・Van Dine)
本名ウィラードハンティントンライト。1887年(明20)、アメリカのヴァージニア州生まれ。
セントヴィンセントやポモーナのカレッジで学んだのち、ハーヴァード大学院で英語学を修めていたころには学業優秀につき、褒賞給費生となる。
1907年(明40)、「ロサンゼルスタイムス」紙の文芸批評担当者となり、その傍ら、本名で美術評論家、文芸評論家として「近代絵画論」「絵画の将来」「ニイチェの教理」「創造的意志」などを発表。
1912年(大1)、「スマートセット」の編集長に就任。
1916年(大5)、自伝的純文学小説「前途ある男」を発表。
1923年(大14)、神経衰弱に倒れ、暇な時間を利用して2,000冊以上の探偵小説を読破したことがきっかけとなり、探偵小説を執筆したという伝説がある。しかし、実際には純文学が売れずに自棄になった結果、麻薬中毒となり、借金をつくってしまい、借金をかえすために探偵小説を執筆したという。最初の三作の前金として支払われた3,000ドルは、過去五年間に稼いだ金額を越えていた。
1926年(大15)、本名を隠し、「ベンスン殺人事件」を「スクリブナーマガジン」に掲載。刊行後はベストセラーとなる。ペダントリーをちりばめた作風で、心理分析中心の探偵法が斬新。
1927年(昭2)、「カナリヤ殺人事件」を刊行。
1927年(昭2)、探偵小説傑作集「The_Great_Detective_Stories」を編纂。
1928年(昭3)、「グリーン家殺人事件」を刊行。1934年(昭9)には「ミステリリーグ」の読者投票で第一位を獲得。1937年(昭12)には「新青年」の作家翻訳家投票で第四位を獲得。
1929年(昭4)、森下雨村により「新青年」に掲載された「探偵新作家現はる」により日本に初紹介される。また、1929年(昭4)、平林初之輔により「グリイン家の惨劇」として「グリーン家殺人事件」が「新青年」で訳される。その後の作品も刊行、即座に邦訳され、小栗虫太郎や浜尾四郎などに影響を与えた。
1929年(昭4)、「僧正殺人事件」を刊行。
1930年(昭5)、「甲虫殺人事件」を刊行。
ヴァンダインの探偵小説二十則を唱え、古典的本格派として有名。すぐれた探偵小説を書くのは生涯六篇が限度と語っていたが、12篇の長編を残した。
1939年(昭14)、冠状動脈血栓で死去。贅沢な暮らしのため、死後の遺産はほとんど残っていなかった。
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