NHKラジオ開局初期、戦時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 22:07 UTC 版)
「報道番組」の記事における「NHKラジオ開局初期、戦時」の解説
日本国の放送局の実験や開設に新聞社が大きく関わった事情もあり、日本放送協会(NHK)はラジオ放送開始当初から新聞社提供のニュースを読み上げていた。東京放送局では、仮放送(=仮施設からの本放送)第1日目(1925年3月22日)のニュースは出資者である読売新聞社(11時30分 - 11時50分)、東京日日新聞社(13時30分 - 13時45分)、東京毎夕新聞社(19時00分 - 19時30分)の提供だった。これに加え、名古屋放送局では日本電報通信社配信の記事を独自に購入して放送していた。なお、これらのニュースは、当初は提供社によってあらかじめ用意された原稿をアナウンサーがそのまま伝える形式であり、放送局には独自の編集権が与えられていなかったほか、新聞社が号外発行に値すると判断するような重大なニュースは提供されなかった。 「ニュースの提供がありませんので、この時間の放送はとりやめます」とのアナウンスを入れ、番組を休止する日もあった。ニュースの不足を補うため、官庁の公示事項や、催事や求人の案内をアナウンスした。のちのラジオ各波でのローカルニュース枠における「お知らせ」は、この名残りである。なお、「臨時ニュース」だけはラジオ局が独自に伝えることが許された。日本初の臨時ニュースは試験放送5日目の1925年3月5日15時頃における、深川区での火災発生を伝えたもので、放送の即時性を聴取者に知らしめることになった。 1928年に時事新報社からNHK東京放送局の放送部長に迎えられた矢部謙次郎が報道機能改革を行い、1930年11月から、日本電報通信社と新聞聯合社の配信記事をもとに独自編集ニュースを行う形式となった。また、ネットワークの整備によりニュースは東京発に一本化された。新聞社提供のニュースはローカル枠のニュースとして残った。 日中戦争勃発直後の1937年、NHKラジオは「早朝ニュース」「ニュース解説」「今日のニュース」の3番組を新たに開始。一定期間のニュース全体のまとめと解説を主眼においた構成が建前だったが、ときの首相近衛文麿の要請によって設けられた、政府の方針を大衆に伝達するための一種のプロパガンダだった。1940年12月、第2次近衛内閣は情報局を設置し、発足以後、すべての編成と報道内容が逓信省・情報局・NHKの「連絡会議」の審議を経たものでなければ放送できなくなり、ニュース原稿は情報局発表のものが基本となった。その反面、報道番組の編成が強化され、1945年4月までには1日あたり11本まで増加した。「戦果」を伝える際には行進曲のレコードを流すことが定められるなど、日本のラジオニュースは正確な情報を伝えるためでなく戦意高揚が目的となった。
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