MRシリーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:15 UTC 版)
「三菱ふそう・エアロスター」の記事における「MRシリーズ」の解説
三菱日本重工業(当時)が最初にフレームレスモノコック構造を採用した路線車で、1959年(昭和34年)に発表された。リーフサス(板ばね)仕様のMR系、エアサス(空気ばね)仕様のMAR系があった。また、フレーム付き車種はR(リーフサス)/AR(エアサス)系の設定が継続し(A)R300系、(A)R400系の設定があった。 当初のラインナップは、直列6気筒のDB31型エンジン (165 PS) を横置きにしたM(A)R300系と、同エンジンを縦置きにしたM(A)R400系に分かれていたが、登場翌年には横置きエンジン車の製造が中止され、M(A)R400系に一本化された。型式は車体及びホイールベースの長短によって細分化され、またマイナーチェンジごとに細かな変更があったが、10 m尺のM(A)R410型と10.5 m尺のM(A)R470型が多くのバス事業者から支持を獲得し、当時の路線車のベストセラーモデルとなった。 また、1963年(昭和38年)には、長尺車としてMR430が発売された。全長12 m、前輪2軸という路線バス車両としては異色の車両であったが、当時の道路事情では長尺車をフル活用できる場面は少なく、むしろ大型過ぎるために走行道路に制約があったため、国鉄バス・名古屋鉄道・旭川バス(合併して旭川電気軌道)の3社へ、富士重工ボディ11台、呉羽ボディ3台の合計14台の販売実績しかなかった。 なお、エンジンは1964年(昭和39年)にDB31型と同出力の6DB1型へ変更されている。1977年(昭和52年)、静岡鉄道に納入されたのを最後に製造終了となった。 派生形式として、電気バスのME460型がある。蓄電池をユニット化し、充電の際は蓄電池ユニットを車体から下ろして充電済み蓄電池ユニットと交換することで車両自体の運用効率を高めることとしたのが特徴で、バス営業所に設置する蓄電池ユニット急速交換設備も併せて開発された。1972年(昭和47年)に試作され、翌1973年(昭和48年)から1976年(昭和51年)まで神戸市交通局が試験的に4両を採用した後、1979年(昭和54年)から京都市交通局が6両を洛西営業所に配置して西京区内の洛西ニュータウンで1987年(昭和62年)まで本格的に営業運行を行った。京都市が導入した車両は、車体がMPシリーズと同じ三菱(名古屋)製B35型ボディとなっている。蓄電池の寿命が短いことからディーゼルバスより高コストとなることや、冷房化が困難であったことなどから、後継型式の開発は行われなかった。 MR410(呉羽G4) コトデンバス(高松バスカラー) MR470(呉羽G4) 高松琴平電鉄(当時) MR480(三菱K4) 立川バス MR470(三菱G4) 瀬戸内運輸 MR410(三菱)観光マスクの路線車中央アルプス観光 R470(富士R9)フレーム付き車江ノ島鎌倉観光 MR410(富士R13)江ノ島電鉄 MR410(西工B) 山口市交通局 MR410(西工B) 岩国市交通局 MR410(北村)新潟交通
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