MP4/5B
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 04:07 UTC 版)
「マクラーレン・MP4/5」の記事における「MP4/5B」の解説
自然吸気エンジン2年目となる1990年は、MP4/5の改良型となるMP4/5Bでシーズンに臨んだ。空力面ではディフューザーがレイトンハウス風の半円形のエアトンネルを5つ連ねた独特な形状となり、前年のヒット映画『バットマン』のロゴになぞらえて通称「バットマン・ディフューザー」と呼ばれた。ラジエターインテークは縦細になり、アウトレットは使用環境により大小が選択された。 高速コーナーにおけるハンドリングの不安定さを解消するため、ドイツGPではフロア周りのエアロパッケージを修正。ディフューザーのサイズが20cm短くなり、次戦ハンガリーGPではバットマン・ディフューザー自体が廃止され、4枚のスプリッター付きのコンベンショナルなデザインに戻った。 ホンダRA100Eはボア・ストロークを変更し、スロットルバルブがスライド式からバタフライ式に変更された。ホンダ技術陣はスロットルを細かく煽るセナ独特のテクニック(セナ足)にフィットするよう苦労したという。最終的にバージョン6(鈴鹿スペシャル)まで進化した。 新加入のゲルハルト・ベルガーはセナよりも11cm長身であるため、コクピットスペースの狭さに苦労させられた。モナコGPではダッシュボードを4cm上にずらすという対策が採られたが、ベルガーはオープニングラップにプロストとクラッシュしてレースカーを失い、再スタートではセナのスペアカーに乗り換えた。 前年多くのテストを担当し、性能向上に貢献したプロストが不在なことや1988年と1989年をホンダエンジンのアドバンテージを最大の武器としたマシン開発を行ってきたため、純粋なシャシーの研究がおろそかになってしまった感があった。前年はマクラーレン同士の対決であったため、チームに影響を与えることがなかったが、その影響が顕著に現れてくる始まりのシーズンとなり、全体としては苦戦をしいられた。 現にドライバーからはハンドリングに関する不満が発せられるようになり、アメリカGPのベルガーや、イギリスGPのセナなどドライビングミスも目立ち始めた。またフランスGPのようにピット作業のミスも起こった。他チームのマシンよりも前後のウイングを立ててダウンフォースを稼いでいたため、「地上最速のマールボロの看板」と揶揄された。 このシーズンはマクラーレンにとってフェラーリ・641という好敵手を相手にした激しいシーズンであった。セナは、プロストのフェラーリを相手に6勝を挙げ、コンストラクターズタイトル3連覇を達成した。 セナが前年のリベンジを果たしたのは、第15戦日本GPであった。1周目の第一コーナーでプロストと接触し両者リタイア。セナのドライバーズチャンピオンシップが決定した。だが、コンストラクターズは確定しておらず、ベルガーのマクラーレンがリタイアした後、マンセルのフェラーリが表彰台入りすれば逆転のチャンスが残るという状況であった。最終的にはマンセルのリタイアの結果、コンストラクターズも確定した。 チームは翌年のシーズンに向け、ティレル・019の成功によりF1マシンデザインのトレンドとなりつつあったハイノーズ構造「ドルフィン・ノーズ」に対抗し、「クロコダイル・ノーズ」というハイノーズをMP4/5Bに装備させ8月にモンツァ・サーキットでアイルトン・セナがテストを行ったが、セナが10周ほど走ったあと「縁石(前)が見えない」というコメントを発言したため実戦投入は見送られ、この案はお蔵入りとなった。
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