2C戦車の誕生まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 00:28 UTC 版)
「シャール 2C」の記事における「2C戦車の誕生まで」の解説
こうしてフランスで重戦車の開発が進む一方で、連合国は1919年の春に再び大規模な攻勢を行うことを計画していた。この大攻勢計画では、これまでの失敗を踏まえて連合国の各軍・各兵科が高度に連携した作戦行動を行うことが必須であるとされ、エスティエンヌはこの大攻勢を自らの構築した機甲部隊運用の理論を実践する最初の(そしておそらく最後の)機会と考え、多数の軽量級戦車とそれを支援するための相当数の重戦車の整備を訴えた。 しかし、現実問題としてフランスの国家経済は当初の予想を大幅に上回る期間の戦争で人的にも財政的にも資源的にも疲弊しており、エスティエンヌ始め軍部の求めるような規模の戦力の整備は困難な状況になっていた。このようなフランスの状況を鑑み、「1919年大攻勢」の実施が危ぶまれることを懸念したイギリスから、アメリカ・イギリス・フランスの三国共同で開発・生産する計画が進行中であるマークVIII型戦車(英語版)を、フランスが重戦車を自前で生産する労力を形だけでも払った場合、最大で700両をフランスに対し供与する、という提案がなされた。これは要するにフランス軍向けのマークVIII型戦車の大部分をイギリスが負担する形で提供する、というものである。 この提案は、重戦車の必要性を感じつつも主力となる軽量級戦車の生産に影響を及ぼしたくないエスティエンヌと、重戦車開発計画そのものを不要と考えるペタンにとっては実に好都合で、フランス軍は新型戦車を最小の労力で入手すべく、自国の重戦車開発計画を表面上支持すると共に、実際には計画が実行されないように取り計らうことにした。エスティエンヌはムーレの推進していた3種類の重戦車開発計画のうち、最も重量のあるタイプを選択し、更に開発中のFCM 1B重戦車の仕様を加えて再設計したものだけを生産すると決定した。これであれば、完全に新規の試作車両を必要とするために長期の開発期間が必要で、実際には生産されないままに延々と内容のない開発計画を継続できると考えたからである。これに関しては、開発と製造に際して多大な利益がもたらされる重戦車が国産されないことに、ルノー、FCMの両社を筆頭としたフランスの重工業界からの反発が予想されたため、国内企業にも利益が上がる形で導入計画を進めなければならない、といった利権上の理由もあった。 1918年には、FCM 1Aを発展させたものとして、車体を拡大、前部の75mm砲装備(105mm砲への変更が検討されたがとりあえずは75mm砲装備として設計された)主砲塔に加えて後部に機銃装備の小砲塔を追加、動力はガソリンエンジン+電動機を動力とした電気駆動とした総重量65t超の重戦車の設計案が提示されて採用され、「FCM 2C」(Char 2C(2C戦車)の名称が与えられた。開発と試作車の製作はFCM 1Aに引き続きジャミーとサヴァティエの両技師が担当した。 シャール2Cはこのような経緯により誕生したものだが、前述のようにフランス軍首脳にはこの車両を生産する意思はなく、計画を遅延させるべく、ペタンは1919年3月までに300台の2C重戦車を準備するよう求め、不当に高い生産数を要求した。これらの決定は目論見通り重戦車開発計画にさらなる遅れを引き起こした。この問題は、首相と防衛大臣を兼務したクレマンソーとルイ・ルシュール(仏語版)軍需大臣の間に反目が勃発した原因となった。ルシュールは必要なだけの鋼材と労働力をそろえるのは不可能と主張したが、一方、エスティエンヌとペタンは計画を「予定通り」順延させるため、更なる要求で問題をいっそう難しくした。ペタンは渡渉用の特殊なポンツーンを要求し、エスティエンヌは破城槌と電気式地雷探知機の装備を要求した。また、本車が搭載する無線機もより能力が大きいものを複数搭載することが要求され、仕様が二転三転した。このように、政治的事情によりシャール2Cの開発と生産はひたすら遅延し、1918年11月11日の戦争終結時に至っても1両も生産されていなかった。 なお、マークVIII型戦車はイギリスとアメリカが各種コンポーネントを分担して生産し、最終組立工場をフランス国内に建設して現地で完成したものを各国軍に配備する計画になっていた。しかし、英仏の工業生産力は既に自国向けのもので手一杯であり、パリの南に計画された工場の建設は予定よりも大幅に遅れた上、イギリスからの部品の供給も遅延し、生産態勢が整った1918年秋には戦争が集結したため、戦争中にはほとんど生産されぬままに終わった。
※この「2C戦車の誕生まで」の解説は、「シャール 2C」の解説の一部です。
「2C戦車の誕生まで」を含む「シャール 2C」の記事については、「シャール 2C」の概要を参照ください。
- 2C戦車の誕生までのページへのリンク