2018年の故障
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 16:09 UTC 版)
2018年12月7日、Dew Tourに出場するためにコロラド州キーストーンに赴いて4日後、トレーニング中にステアレール(階段の手すりのようなスノーボード用の障害物)を避けようとしたところ、ステアレールであることに気づかず(階段があることに気づかず)、段差に引っ掛かり、そのままレールの脚部に膝を殴打し右膝蓋骨骨折(いわゆる膝の皿の骨折)。 この時、村瀬は膝を触ったらムニムニしていて、膝の皿が割ってしまったと確信。痛みで動くこともできず病院に搬送されボルト3本を埋め込む緊急手術を受ける。翌日に退院。元々3週間の滞在期間で、期間中に仲間が滑っている姿を横目に、Dew Tourへの参加も断念せざるを得ず無念の帰国となった。 帰国後は学校に通いながらも、2時間半かけて京都の病院に通院した。それまでも捻挫や靭帯を伸ばしたことはあったがこれほどの重症はかつてなく、またアメリカの医師から告げられていたよりも回復が遅かったことから、結局日本の冬季シーズン中には復帰することは叶わなかった。 中学3年生に進級したばかりの春、アメリカでリハビリを受けることを決意。単身カリフォルニアに渡米する。 アメリカでは國母和宏のリハビリも担当したトレーナーに付いた。日本では村瀬曰く「おばあちゃんたちと一緒に少しずつ安静にやるリハビリだった」のに対し、アメリカでは積極的に動かすリハビリに変わり回復スピードが速くなり「もっと早くアメリカに来ていればよかったな」と思ったという。 村瀬のリハビリ期間中にスケートボーダーの西村碧莉もDew Tour参加のためにカリフォルニアに滞在しており、村瀬と同じトレーナーに面会する機会を得ていた。同じIMG所属の西村は村瀬の憧れの存在で、いままでも顔を合わせたことはあったものの初対面で会話することはできず「死ぬまでには一度はちゃんと話したい」と思っていた。そんな西村からの励ましも受け、1か月のリハビリを終えて帰国した。 帰国後、ジャンプ施設での久々の練習に際し、アメリカの医師からは滑ってもOKとは言われたものの恐怖心がつきまとった。「右足に力を入れたら折れてしまうんじゃないか」「もしもう一度ぶつけてしまったら」という不安があったという。 恐る恐るジャンプの練習を繰り返し、少しずつ手応えを掴み始めると、以前は苦手だった技を調子よくきめられるようになっていた。これは村瀬の若さ故、リハビリやトレーニングは怪我の治癒のみならずフィジカル面全体の強化につながった可能性があり、右足の筋肉量は故障以前と同じ水準に戻り、逆に脂肪が減っていた。 元々、気を使っていたもののさらなる食事面の改善もフィジカルを強くした。母が栄養学の観点から骨の強化に繋がる食事に見直し、村瀬が嫌いな魚も頻繁に出すようになった。 この時の心境を本人は「スノーボードができないのが辛かったし焦りもあった」と語っており、友達からたくさんの応援メッセージをもらったり、同じく故障した選手のSNSを見てトレーニングの参考にしたりしていた。「怪我をする前より強くなるにはどうしたらよいかを考えながら、必ずもう一度スノーボードを滑るんだ、と気持ちを強く持とうと心がけていた」という。 復帰後は他の選手よりも自分に勝つ、という部分を心掛けるようになり、そのように考え方が変わってからは表彰台に立てることが多くなったという。 コーチの阪西翔によれば、村瀬は初めての大きな故障により競技へ取り組む姿勢が変わったといい「怪我をしないためにどうすればよいか自分で考えられるようになって戻ってきた」と成長を感じたという。以前よりもストレッチやウォーミングアップを大事にし、基礎練習に重点を置くようになった。
※この「2018年の故障」の解説は、「村瀬心椛」の解説の一部です。
「2018年の故障」を含む「村瀬心椛」の記事については、「村瀬心椛」の概要を参照ください。
- 2018年の故障のページへのリンク