2004年-2007年:ザ・ブレイクスルーとは? わかりやすく解説

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2004年-2007年:ザ・ブレイクスルー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:08 UTC 版)

メアリー・J. ブライジ」の記事における「2004年-2007年:ザ・ブレイクスルー」の解説

2004年には映画ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月』のサウンドトラックで、エルトン・ジョン1976年楽曲悲しみバラード」(Sorry Seems to Be the Hardest Word) をカバーし映画シャーク・テイル』のサントラでは、客演ラッパーウィル・スミス据えてシェリル・リン1978年ディスコ曲「ガット・トゥ・ビー・リアル」(Got to Be Real) をカバーした。また数々ミュージシャン作品への客演続きノトーリアス・B.I.G.などの数々ラッパーとのコラボレーション話題となったその中で2005年には、キャシディ英語版)の「アイム・ア・ハッスル」(I'm a Hustla (song))のメアリーリミックス・バージョン大好評となったり、人気ラッパーゲームの「ヘイト・イット・オア・ラヴ・イット」(Hate It or Love It)をカバーすると、それを聴いたゲーム本人メアリーコラボレートしたいと申し入れてくるなど、次作アルバムへの新たな展開があった。そしてクール&ドレープロデュースによりリメイクされてゲーム50セントコラボした「ヘイト・イット・オア・ラヴ・イット」はメアリー新曲MVP」(MJB da MVP)として4月リリースされた。「MVP」はアルバム収録時に改題されて「MJB・ダ・MVP」となるが、この楽曲は、これまでのメアリーヒット曲群の印象的なフレーズ数々次々と織り込まれているダンサブルナンバーで、メアリー次作アルバムへの大きな期待高まっていた。 P・ディディショーン・パフィ・コムズ)とは再び距離を置いたプロデュース陣で次作アルバムの制作順調に行われていたが、その間新しスタジオ・アルバムより先に、一旦新曲含めたベストアルバムReminisce』(仮題)をリリースするアナウンスされて、ファン戸惑う一幕もあったが、無事に2005年12月に『ザ・ブレイクスルー』(The Breakthrough)と題せられた7作目スタジオ・アルバムリリースした。「Breakthrough (現状突破)」というタイトルは、自分自身にとって一番大きな障壁は「自分自身」だと学び様々な葛藤自己分析経て自分自身に関して変えられない部分変えられる部分」の両方含めて自身愛し自信を持つことができたメアリーのその思い込められたものとなった。そしてボイストレーニングハードな練習重ね自由に羽根を羽ばたかせるように、気張らなくても声が伸び伸びと出るようになったメアリー語った9月リリースされていた先行2ndシングルビー・ウィザウト・ユー」(Be Without You)は切ないメロディーラインラブソングで、全米シングルチャート3位R&Bチャートでは15連続で1位を記録する大ヒットとなった。このR&Bチャート記録は、ビルボード誌で一時期中断されていたR&Bチャート1965年再開され以降史上最高記録となったアルバムザ・ブレイクスルー』も2006年1月7日付の全米アルバムチャート初登場1位となり、発売1週間驚異的な727,163売上記録した。これは2006年度発売最多売上であると同時に女性R&Bソロ・アーティスとしては過去最高記録樹立した。そのため、シングルビー・ウィザウト・ユー」、売上300万枚上のアルバムザ・ブレイクスルーと共に2006年度ビルボード年間R&B/ヒップホップチャートも1位を獲得した。 そして、2006年度ビルボード・ミュージック・アワード(2006 Billboard Music Awards)で最多9部門受賞BETアワード(BET Awards 2006)も最多2部受賞者となった。その他、2006年アメリカン・ミュージック・アワード(American Music Awards of 2006)、第38回NAACPイメージ・アワード(38th NAACP Image Awards)などでもそれぞれ2部受賞したさらには最も権威のある第49回グラミー賞2007年開催においては最多となる8部門ノミネートされ、その中の「最優秀R&Bアルバム賞」(Best R&B Album)、シングルビー・ウィザウト・ユー」に対し「最優秀R&B楽曲賞」(Best R&B Song)と「最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス賞」(Best Female R&B Vocal Performance)の3部門を見事獲得したアルバムからの3rdシングルは、1991年U2のロック・バラードの名曲ワン」をカバーしボノと共にデュエットしたもので、この楽曲ヒットした。この共演実現は、ボノ2003年ミュージケアーズ・パーソン・オブ・ザ・イヤー第45回グラミー賞)に選ばれた際のチャリティー・ディナーでメアリーがこの曲を歌い、それを聴いたボノ意気投合したことがきっかけだった。他の収録曲もどれもシングルになるような出来栄えで、メアリー力量存分に発揮されたものとなった。 『ザ・ブレイクスルー』の成功後も、LL・クール・JリュダクリスP・ディディことパフィショーン・コムズ)などの各アルバム客演参加2006年7月からは「ザ・ブレイクスルー・エクスペリエンス・ツアー」(The Breakthrough Experience Tour)を行ない全米カナダ凱旋する活動をみせ、10月には、大手家電製品チェーンサーキット・シティー・ストアーズ社と共同で、スティングなどとの客演曲を含んだCD2組のアルバムメアリー・J. ブライジ&フレンズ』 (Mary J. Blige & Friends)をリリース売上金子供擁護団体寄付したり、ABCテレビドラマワン・ライフ・トゥ・リヴ』で自身の役でゲスト出演するなど多忙な日々送った同年2006年12月には、ジョン・レジェンドとの幻のデュエット曲キング&クイーン」(King & Queen)など、新曲4曲を含む初のグレイテスト・ヒッツリフレクションズ~ア・レトロスペクティブ』(Reflections (A Retrospective))を発売した。このベストアルバムの中での「マイ・ライフ」(My Life)はニュー・バージョンで、メソッド・マン客演コラボした「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー/ユーアー・オール・アイ・ニード・トゥ・ゲット・バイ 」(I'll Be There for You/You're All I Need to Get By)や、ワイクリフ・ジョン客演した「911」(911)も収録された。

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