2004年~2005年 フェデラーとの戦い、不調へ
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「アンディ・ロディック」の記事における「2004年~2005年 フェデラーとの戦い、不調へ」の解説
ロディックはウィンブルドン選手権では2004年と2005年の2年連続、決勝でロジャー・フェデラーに敗れて準優勝になった(フェデラーには2003年の同大会準決勝でも敗れているため、3年連続の苦杯となる)。 2004年アテネ五輪にアメリカ代表選手として、シングルス3回戦でチリ代表のフェルナンド・ゴンサレスに4-6, 4-6で敗退する。オリンピック終了後の全米オープンでは、準々決勝でヨアキム・ヨハンソンに4-6, 4-6, 6-3, 6-2, 4-6のフルセットで敗れ、早い段階で大会連覇のチャンスを逃した。2005年全米オープンでは、1回戦でジル・ミュラーに不覚を取り、6-7, 6-7, 6-7のストレートで敗退した。
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