1980年代以降の展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 09:35 UTC 版)
1980年代に至り、「ジョイフルトレイン」の先駆けとなった「サロンエクスプレス東京」や「サロンカーなにわ」には、改造車ではあるが編成両端の車両に展望室を設けた車両が連結された。ただし、これらはガラス張りの密閉構造で、特に前者は構造的にも伝統的な国鉄展望車よりも名鉄7000系電車「パノラマカー」に端を発する展望ロマンスカーの客車版といった雰囲気であった。これの類似車両は「スーパーエクスプレスレインボー」、「ユーロライナー」、「パノラマライナーサザンクロス」など多岐に渡る。 伝統的な開放式展望車としては、1982年に西武鉄道からの譲受電車であるサハ1501形1515号を改造した大井川鉄道(現・大井川鐵道)のスイテ82形が登場した。国鉄でも1983年に名古屋工場で改造されたお座敷客車の両端が種車の12系の構造体を流用しつつ開放式展望デッキを設けた。さらに1987年には50系客車から「アイランドエクスプレス四国」用に、1988年には同じく50系から「ノスタルジックビュートレイン」用に開放式展望車が改造製作されている。また同年には「SLやまぐち号」向け12系の1両が開放式展望車に改造された。なお、「SLやまぐち号」向けの12系については、もう一両が2003年に、密閉式展望車に改造された。 しかし、これらは大井川鉄道のスイテ82形を除いてすべて形式用途号は展望車の「テ」ではなく、通常緩急車の「フ」を称しており、「テ」の新形式は途絶えたかと思われた。ところが意外なアプローチから1998年にJR北海道において改造車ながら新形式が登場した。トロッコ列車用として側面の窓ガラスを取り払った車両に「テ」が与えられたのである。これらは50系客車の改造車(オハテフ510形等)であったが、果ては貨車改造の二軸客車(ハテ8000形)にまで「テ」が付された。 また、「SLばんえつ物語」編成のように、中間の車両をハイデッカータイプとして良好な眺望を確保した大型窓を設け、乗車定員を0人として座席指定券を発券しない例も現れている。なお、このハイデッカータイプの展望車両は客車・電車・気動車を問わずトレンドとなっており、用途形式上もロビーカーに準ずる「ハ」を名乗るケースが少なくない。 一方、新造車両では、上野 - 札幌間の寝台特急「カシオペア」用JR東日本E26系客車に車端部に本格的な展望部を有する「カハフE26形」が投入された。なお、この車両の名称は「ラウンジカー」を名乗っている。 2013年に運行を開始した「ななつ星 in 九州」では、編成端部の車両は展望部を有している。ただし、機関車の次に連結されている場合が多い1号車「マイ77-7001号車」はロビーカーに準ずる「ラウンジカー」であるが、最後尾を想定した「マイネフ77-7007号車」は占有客室である2人用個室寝台「DXスイート」となっている。 他のクルーズ列車とされている「TRAIN SUITE 四季島」・「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」においても、編成端部の車両は展望部を有する設計となっているが、前者はEDC方式車両、気動車であり、運転台も有している。また、「瑞風」においては、展望車となった両端車がキイテ87形を称している。 2017年には、「SLやまぐち号」用12系客車の置き換え用としてJR西日本35系客車が新製された。この客車は、5両編成の両端車に開放式展望デッキを設けており、それぞれオロテ35形、スハテ35形とされた。 また1980年代より「トロッコ列車」と呼ばれる素朴な形態の展望車両も運行されるようになっている。運行当初は貨車を改装したものが用いられたが、安全上の問題から貨車改造が認められにくくなり、以後は12系等の通常型客車から、側面ガラス窓・外板の一部を取り払った車両が投入されるようになった。 なお、かつての特別急行列車「つばめ」・「はと」などでは三角線と呼ばれる配線を利用して編成ごと方向転換をしていたが、近年のそれは編成の両端に展望車を設ける方法が一般的である。あるいは蒸気機関車牽引列車の場合は発着駅近辺に蒸気機関車の転車台が残っているため、それを使って展望車のみ方転させる場合もある。実例として、2002年までの「SLやまぐち号」は、展望車が1両しかなかったため、津和野駅の転車台でそれの方向転換が行われ、編成の下り方に連結されたことがある。
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