1979年南アフリカグランプリ
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動レース詳細 | |||
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日程 | 1979年シーズン第3戦 | ||
決勝開催日 | 3月2日 | ||
開催地 | キャラミ 南アフリカ ヨハネスブルク |
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コース長 | 4.104 | ||
レース距離 | 78周(320.112km) | ||
決勝日天候 | ウェット | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | |||
タイム | 1'11.80 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ![]() |
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タイム | 1'14.412 (Lap 23) | ||
決勝順位 | |||
優勝 |
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2位 | |||
3位 |
1979年南アフリカグランプリは、1979年F1世界選手権の第3戦として、1979年3月3日にキャラミで開催された。
予選
順位 | No | ドライバー | コンストラクター | タイム |
---|---|---|---|---|
1 | 15 | ![]() |
ルノー | 1'11.80 |
2 | 11 | ![]() |
フェラーリ | 1'12.04 |
3 | 12 | ![]() |
フェラーリ | 1'12.07 |
4 | 5 | ![]() |
ブラバム・アルファロメオ | 1'12.12 |
5 | 25 | ![]() |
リジェ・フォード | 1'12.15 |
6 | 26 | ![]() |
リジェ・フォード | 1'12.26 |
7 | 3 | ![]() |
ティレル・フォード | 1'12.33 |
8 | 1 | ![]() |
ロータス・フォード | 1'12.36 |
9 | 4 | ![]() |
ティレル・フォード | 1'12.55 |
10 | 16 | ![]() |
ルノー | 1'12.69 |
11 | 2 | ![]() |
ロータス・フォード | 1'12.75 |
12 | 6 | ![]() |
ブラバム・アルファロメオ | 1'13.07 |
13 | 20 | ![]() |
ウルフ・フォード | 1'14.21 |
14 | 7 | ![]() |
マクラーレン・フォード | 1'14.44 |
15 | 18 | ![]() |
シャドウ・フォード | 1'14.44 |
16 | 29 | ![]() |
アロウズ・フォード | 1'14.54 |
17 | 8 | ![]() |
マクラーレン・フォード | 1'14.58 |
18 | 14 | ![]() |
フィッティパルディ・フォード | 1'14.61 |
19 | 27 | ![]() |
ウィリアムズ・フォード | 1'14.64 |
20 | 30 | ![]() |
アロウズ・フォード | 1'15.00 |
21 | 17 | ![]() |
シャドウ・フォード | 1'15.35 |
22 | 28 | ![]() |
ウィリアムズ・フォード | 1'15.68 |
23 | 31 | ![]() |
ロータス・フォード | 1'16.15 |
24 | 9 | ![]() |
ATS・フォード | 1'16.31 |
DNQ | 22 | ![]() |
エンサイン・フォード | 1'16.64 |
DNQ | 24 | ![]() |
メルツァリオ・フォード | 1'18.14 |
決勝
順位 | No | ドライバー | コンストラクター | 周回 | タイム | グリッド | ポイント | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 12 | ![]() |
フェラーリ | 78 | 1:41'49.96 | 3 | 9 | |
2 | 11 | ![]() |
フェラーリ | 78 | +3.42 | 2 | 6 | |
3 | 4 | ![]() |
ティレル・フォード | 78 | +22.11 | 9 | 4 | |
4 | 1 | ![]() |
ロータス・フォード | 78 | +27.88 | 8 | 3 | |
5 | 2 | ![]() |
ロータス・フォード | 78 | +1'06.97 | 11 | 2 | |
6 | 5 | ![]() |
ブラバム・アルファロメオ | 77 | +1 Lap | 4 | 1 | |
7 | 6 | ![]() |
ブラバム・アルファロメオ | 77 | +1 Lap | 12 | ||
8 | 20 | ![]() |
ウルフ・フォード | 77 | +1 Lap | 13 | ||
9 | 28 | ![]() |
ウィリアムズ・フォード | 76 | +2 Laps | 22 | ||
10 | 8 | ![]() |
マクラーレン・フォード | 75 | +3 Laps | 17 | ||
11 | 29 | ![]() |
アロウズ・フォード | 75 | +3 Laps | 16 | ||
12 | 30 | ![]() |
アロウズ・フォード | 74 | +4 Laps | 20 | ||
13 | 14 | ![]() |
フィッティパルディ・フォード | 74 | +4 Laps | 18 | ||
リタイア | 31 | ![]() |
ロータス・フォード | 71 | エンジン | 23 | ||
リタイア | 16 | ![]() |
ルノー | 67 | タイヤ | 10 | ||
リタイア | 27 | ![]() |
ウィリアムズ・フォード | 63 | サスペンション | 19 | ||
リタイア | 7 | ![]() |
マクラーレン・フォード | 61 | イグニッション | 14 | ||
リタイア | 9 | ![]() |
ATS・フォード | 57 | アクシデント | 24 | ||
リタイア | 15 | ![]() |
ルノー | 47 | エンジン | 1 | ||
リタイア | 26 | ![]() |
リジェ・フォード | 45 | アクシデント | 6 | ||
リタイア | 3 | ![]() |
ティレル・フォード | 25 | スロットル | 7 | ||
リタイア | 18 | ![]() |
シャドウ・フォード | 16 | アクシデント | 15 | ||
リタイア | 25 | ![]() |
リジェ・フォード | 4 | アクシデント | 5 | ||
リタイア | 17 | ![]() |
シャドウ・フォード | 2 | アクシデント | 21 | ||
注
- ラップリーダー:ジャン=ピエール・ジャブイーユ 1 lap (1); ジル・ヴィルヌーヴ 39 laps (2-14, 53-78); ジョディ・シェクター 38 laps (15-52).
第3戦終了時点でのランキング
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- 注:ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。
参照
- ^ “1979 South African Grand Prix”. formula1.com. 2015年12月23日閲覧。
- ^ “1979 South African Grand Prix - Race Results & History - GP Archive”. GPArchive.com. 2021年11月6日閲覧。
- ^ a b “South Africa 1979 - Championship • STATS F1”. statsf1.com. 2019年3月20日閲覧。
前戦 1979年ブラジルグランプリ |
FIA F1世界選手権 1979年シーズン |
次戦 1979年アメリカ西グランプリ |
前回開催 1978年南アフリカグランプリ |
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次回開催 1980年南アフリカグランプリ |
「1979 South African Grand Prix」の例文・使い方・用例・文例
- 私は1979年10月22日に東京で生まれました
- 教育省長官の職は1979年に設けられた
- 厚生省長官の職は1979年に議会によって設けられた
- 1953年に創設され1979年に2つの省に分割された、かつての行政府の長
- 米国が中華人民共和国を認識した後、カーターは1979年に台湾に対する承認を取り消した
- 1979年から1990年までニカラグアの反革命的なゲリラ部隊
- 過激派パレスチナ人テロリスト集団で、1979年に創設され、パレスチナでのイスラム国家の創設と、イスラエルの破壊をに取り組む
- パレスチナ解放人民戦線の派閥によって1979年に形成されるが、重要なメンバーがアル・ファタハの派閥に加わるために去った1980年代に解散したテロ集団
- 1979年、ソビエト軍がアフガニスタンに侵入した
- 英国の生化学者(ドイツ生まれ)で、1928年にアレクサンダー・フレミングによって発見されたペニシリンを分離、精製した(1906年−1979年)
- 米国の作家で、小説で知られる(1904年−1979年)
- 人気がある米国の指揮者(1894年−1979年)
- 英国の物理学者(ハンガリー生まれ)で、ホログラフィに関する業績で知られる(1900年−1979年)
- 米国のピエロ(1898年−1979年)
- 米国の政治哲学者(ドイツ生まれ)で、資本主義や現代技術の人間性を失わせる影響を危惧した(1898年−1979年)
- フランスの振付師でバレエダンサー(ロシア生まれ)(1895年−1979年)
- フランスの経済学者で、ヨーロッパで欧州共同市場を擁護した(1888年−1979年)
- イタリアの化学者で、ポリマーの研究で知られる(1903年−1979年)
- イタリアの建築家で、鉄筋コンクリートの使用の先駆者となった(1891年−1979年)
- イランのシャーで、イスラム原理主義者により1979年に退位させられた(1919年−1980年)
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