1926年2月―11月――カリフォルニア、ポートランドおよびシアトル
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「アール・ネルソン」の記事における「1926年2月―11月――カリフォルニア、ポートランドおよびシアトル」の解説
ファイル:Clara Newman, Earle Nelson victim.jpg サンフランシスコの女家主クララ・ニューマンは、ネルソンの最初の記録された犠牲者であった 1926年にネルソンは殺人劇を始めた。彼の最初の既知の犠牲者は、裕福な60歳のサンフランシスコの女家主クララ・ニューマンであった。ネルソンは、「ロジャー・ウィルソン」と称する潜在的な借間人を装って、1926年2月20日土曜日にピアス・ストリート2037番地の彼女の下宿屋に入った。家に入った後、ネルソンはニューマンを絞殺し、彼女の遺体を強姦し、家の空いているアパートメントに彼女の遺体を隠した。彼の2人目の犠牲者である63歳のローラ・ビールは、3月2日火曜日に近くのサン・ノゼの彼女の家で絞殺された。ビールを絞め殺すために使用されていた絹の紐は、あまりにきつく首に巻かれていたために、肉に埋め込まれていたと伝えられている。 ネルソンは1926年6月26日土曜日に、これもサンフランシスコで63歳のリリアン・セント・メアリーを絞殺し強姦した。ちょうど2週間後に、サンタバーバラの南325マイル (523 km)で、53歳のオリー・ラッセルが下宿屋で絞殺された。検死はラッセルが死後に性的暴行されていたことを確認したし、彼女の殺人とサンフランシスコ地域の殺害複数との間の『手口』(modus operandi)の類似性により警察はそれらは関連していると考えた。8月16日月曜日に、オークランドのアパートメントの建物の所有者である52歳のメアリー・ニスベットが夫に発見された。空いているアパートのバスルームで絞殺され強姦されていた。 当初、地元の法執行機関は、彼女の死亡においてニズベットの夫に訊ねたが、彼はまもなく疑惑から解放された。目撃者らは後に警察に、ニズベットの殺人事件の日に彼女のアパートメントの建物の外に「微笑んでいる見知らぬ人」("smiling stranger")が潜んでいるのを見たと語った。さまざまな下宿屋でネルソンを見たと主張する他の人々は、ネルソンを「長い腕と大きな手」("long arms and large hands")を持つ黒っぽいずんぐりした男だと警察に説明した。このために、新聞各紙は彼を「黒い絞殺犯」("Dark Strangler")、「ゴリラ男」("Gorilla Man")、あるいは「ゴリラ殺人犯」("Gorilla Killer")と呼び始めた。 ファイル:Beata Winters, Earle Nelson victim.jpg ベアタ・ウィザーズ。ネルソンの6人目の犠牲者であり、彼がオレゴン州ポートランドで殺した最初の犠牲者 1926年秋に、ネルソンはオレゴン州ポートランドに移り、10月19日火曜日に35歳の女将ベアタ・ウィザーズを強姦し殺害した。彼女の遺体は10代の息子が見つけ、自宅の屋根裏部屋にあるスチーマー・トランク内の衣類の下に詰め込まれていた。翌日に、59歳のバージニア・グラントが、所有していた東22丁目の空き地で殺害され、彼女の遺体は家の地下室の炉の後ろに隠されていた。10月21日木曜日に、女家主メーベル・フルークがポートランドの自宅から姿を消した。数日後に彼女の遺体が屋根裏部屋から発見され、スカーフで絞殺されていた。その後のグラントとフルークの同様の殺害にもかかわらず、ウィザーズの「謎めいた」("mysterious")死亡を評価するために、男4人と女3人の検死陪審が10月28日木曜日に任命された。陪審の決定は二分され、3人は彼女の死亡が自殺であると信じ、他の3人はそれが殺人であると信じた。 ポートランドで3人の殺人を犯した後、ネルソンは一時的にサンフランシスコに戻り、11月18日木曜日に56歳の未亡人アンナ・エドモンズを強姦し殺害した。当初、警察は犯罪を「黒い絞殺犯」に帰することを躊躇していた。しかしながら、殺人事件の数日後、エドモンズの或る友人は、自分が殺人事件当日に彼女の家に立ち寄ると、エドモンズが自分の家を売ることを含む商取引について自分のパーラーの「見知らぬ男」("strange man")に語っていた、と警察に話した。見知らぬ男性の女性の人相描写は、「黒い絞殺犯」のそれと一致した。 翌日、11月19日金曜日に、近くのカリフォルニア州バーリンゲームで、28歳の妊婦が、潜在的な買い手を装った男に家を見せているときに襲われた。彼女は攻撃を生き延び、その男は身長が5フィート8インチ (1.73 m)くらい、身なりがよく、話し方が良いと説明した。女は後に記者らに、自分は最初は脅迫されたと感じていなかったが、振り返ると、男が家の複雑な詳細、特に天井について特別に論評していたことに気付いた、と語った――「彼がわたしを天井のほうに向けさせようとしていたことに気づきました。そうすれば、彼は私の後ろに隠れて私の喉をつかむことができたのです」("I realize now that he was trying to get me to look up towards the ceiling, so that he could get behind me and grab my throat")と彼女は言った。 10日後の11月29日月曜日に、ネルソンはポートランドの自宅でブランシュ・マイヤーズを殺害し強姦した。警察はマイヤーズの鉄製のベッドポストから外国人の指紋を回収することができた。ポートランドの諸殺人事件は大衆の熱狂に火をつけたし、『The Oregonian』は、ポートランド警察署の3階は、事務員らが「不審人物」の何百もの通話と報告を受けて「真の精神病院」("a veritable madhouse")になった、と報じた。 ひとりの地元の女は警察に電話し、不審な男が感謝祭休暇の後、数日間、「エイドリアン・ハリス」という名前で下宿屋に滞在した、と主張した。マイヤーズ殺害の日、11月29日月曜日に、彼女はその男が自分と他の住民らにワシントン州バンクーバー行きの電車に乗るために出発することを伝え、自分は戻ってこないことを示した、と述べた。彼女は、彼が数日分の家賃を前払いしていたことを考えると、これは疑わしいと感じた。彼は出発前に、彼女と別の女の下宿人に宝石類を贈り物として贈った。これは後に警察によって、11月23日火曜日にシアトルの家で殺害され強姦された裕福な未亡人フローレンス・モンクが所有していたことが確認された。 さらなる殺人を防ぐことを期待して、カリフォルニア州とオレゴン州の法執行機関は市民らに公共の安全に関する発表をおこなった――サンフランシスコ湾地域では、年配の女らは部屋を賃借したり、見知らぬ人を家に招いたりするときに注意を払うように助言された。一方、ポートランド警察署は次の声明を一般に公開した――「賃貸する家や部屋をひとりで見せないこと。必要ならば、警察官を呼んで同行してもらうこと。このような犯罪は防止されるべきであり、もし女らがもっと注意を払っていれば防止できたはずである。ポートランドの人々に過度に驚かせたくはない。しかし、状況が深刻であることは否めない」()。
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