122得点
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「全国高等学校野球選手権大会に関するエピソード」の記事における「122得点」の解説
まれに地方大会では1チームに30点以上も入る大量得点試合を目にすることがある。その中でも特筆すべきは1998年(第80回記念大会)の青森大会2回戦、東奥義塾高校対深浦高校(青森県営野球場)の一戦である。 チーム1234567RH東奥義塾 39 10 11 17 16 12 17 12286 深浦 0 0 0 0 0 0 0 00 試合時間:3時間47分 この試合、東奥義塾は1回に早くも39点の得点を上げ、更に2回以後も毎回10得点以上を記録、6回には夏の大会では地方大会・全国大会を通して初めてとなる100点の大台に乗り、さらに得点を重ね122-0の圧勝を演じた。当時の東奥義塾の成績は打者149人、安打86本(うち二塁打31・三塁打21・本塁打7)、四死球36、盗塁78、三振1だった。4番打者の珍田威臣は16打数14安打12打点、11打席連続安打にサイクルヒットを2回記録した。逆に深浦は打者25人がノーヒット(うち三振16)だった。 深浦の選手には正式な野球部員が10人しかおらず、しかもその半数は野球経験が全くなかった。この試合は青森朝日放送で生中継されていたが、放送予定時間内ではとても試合終了まで中継することができず、試合途中の2回49点差で放送は終了した。試合時間は3時間47分。 現在は5回終了時に10点以上の差が付いていればコールドゲームで終了するが、当時の青森大会の規定では7回まで行うことになっていた。深浦の監督が「ここで試合をやめる(放棄試合)という選択肢もあるが」と選手に問うと「ここで試合をやめてしまうのは、応援されているのだから野球をする気が引けてしまう」ということで最後まで戦い抜くことを決断し、結局7回まで試合が行われた。また、東奥義塾も「手を抜くのは失礼に当たる」と手を緩めることなく攻撃を行った。ただし、そのうち盗塁については批判的な見方も存在し、ノンフィクション作家の海老沢泰久は著書やコラムで大量の盗塁を批判した。 この試合については後に川井龍介が「0対122 けっぱれ!!深浦高校野球部」と題したルポルタージュ本としてまとめている(のち加筆され「122対0の青春 深浦高校野球部物語」として文庫化された)。 この試合を教訓に高野連は地方大会のコールドゲームの基準を2000年度から統一し、5回以降で10点差以上、7回以降で7点差以上の差が付いた場合はコールドにするよう通達した。ちなみに、深浦高校は翌1999年は0-54で敗れたが、『1年間努力して失点を前年より半減させた』と讃える声もあった。その後2004年の青森大会で、松風塾高校に13-6(青森市営野球場)で7回コールドで大会初勝利を挙げたが、同年7月21日に2007年度から青森県立木造高等学校の分校化が決定した(現在は「木造高校深浦校舎」として出場している)。 2011年8月、歌手JAY'EDと若旦那のコラボレーション曲「Toy box」のプロモーションビデオに、当時の野球部員が出演し、当時の試合から十数年を経た元野球部員それぞれの今の姿をうかがい知ることが出来る。 なお、2011年(第93回大会)の兵庫県予選1回戦、姫路工業高校対氷上西高校戦で、姫路工業が71-0の5回コールドで勝利。この試合は姫路工業が後攻で攻撃イニングは4回しかなく、1イニングあたりの平均得点は17.75点となり、この試合の東奥義塾の1イニングあたりの平均得点である17.43点を上回った。
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