クリーブランド・インディアンス時代(1991年 - 2002年)
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1989年のMLBドラフトでクリーブランド・インディアンスから13巡目(全体333位)に指名されプロ入り。 1991年9月4日のツインズ戦でメジャーデビュー。 1994年に初の2桁本塁打(20本)を打って以来、2002年までインディアンスの中心打者として活躍。 1995年には自己最高となる打率.314、25本塁打を放ち、これはアメリカンリーグの三塁手でゲイリー・ガイエティの35本塁打に次ぐ2位だった。チームは1954年以来51年ぶりにワールドシリーズへ進出し、計10試合のポストシーズン、トーミは打率は.213だったが、8本塁打、10打点を記録した。 1996年には38本塁打・116打点・122得点・123四球をマークし、1950年のアル・ローゼン以来球団史上2人目となる30本塁打・100打点・100得点・100四球を達成。 1997年はトレードでマット・ウィリアムズが加入したため三塁手から一塁手へコンバートされた。シーズン40本塁打を記録し、5月14日のレンジャーズ戦で通算100本塁打を達成。7月8日に行われたオールスターゲームに初めて選出された。 2001年に49本塁打を記録しハル・トラスキーの持つ左打者としてのシーズン本塁打球団記録を更新し、アルバート・ベルの通算本塁打の球団記録を更新また、マービン・ミラー賞を受賞している。 2002年自己最多、1995年のベルが記録した球団記録の50本塁打を更新する52本塁打を記録し、6月25日から7月3日にかけてMLB記録にあと1試合に迫る7試合連続本塁打を記録した。シーズン終了後の10月22日にロベルト・クレメンテ賞を受賞。インディアンスは5年6000万ドル前後の規模で契約延長を打診したが拒否し、10月28日にフリーエージェントとなった。
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