クリーブランド・ロイド発掘地での発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:51 UTC 版)
「アロサウルス」の記事における「クリーブランド・ロイド発掘地での発見」の解説
クリーブランド・ロイド発掘地として知られるようになるユタ州エメリー郡(en:Emery County, Utah)の地層における発掘は1927年には始まり、化石産出地として1945年にウィリアム・J・ストークス(William J. Stokes)から紹介されているが、大規模な発掘作業が開始されるのは1960年になってからである。1960年〜1965年に40近い機関・組織が協力して行った発掘プロジェクトでは数千の恐竜の骨が発見された。発掘地ではアロサウルスの標本が最も多く発見され、その大半はフラギリスのものであった(少なくとも73体分の恐竜の化石が発見され、その内最低46体がフラギリスであると考えられている)。なぜそこにアロサウルスの化石が集中していたのか決定的な説明はなされていない。また、発見された恐竜の化石はなぜかバラバラの状態で混ざり合っていた。このミステリアスな状況を受け、発掘地の地質的な形成過程に関する10本程度の論文が書かれたが、恐竜の死因については「泥や沼あるいは湧水池で足を取られて溺れた」「干ばつ時に水溜りに集まった個体がそのまま息絶えた」等、様々な仮説が提案された。いずれにせよ、この発掘地では保存状態の良い化石が多数見つかったため多角的な研究を行うことが可能になり、結果的にアロサウルスを最も解明の進んだ獣脚類の地位に押し上げた。発掘された標本に様々な年齢と大きさ(全長1m以下〜12m)の個体が含まれていたこと、また骨格がバラバラであったことで骨どうしの癒着が防がれて個々の部位が良く残っていたことは研究を進める上で有利に働いた。
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