音楽的な特徴と歴史とは? わかりやすく解説

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音楽的な特徴と歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:27 UTC 版)

大和楽」の記事における「音楽的な特徴と歴史」の解説

音楽的な特徴としては、従来からある三味線音楽長所に、西洋音楽発声法ハーモニー和声)・輪唱ハミングなどの演奏法を採り入れ従来邦楽違った新しく自由な形式をもって発展してきた。特に大倉一中節家元預かりであったり、また初期作曲・演奏家として活躍した宮川寿朗清元榮壽郎大和)が清元演奏家であったこともあり、その二派の影響が特に強い。楽器中棹三味線用い、こちらも清元三味線に近い。また長唄常磐津清元などをはじめとする他の邦楽違い女性演奏家中心に活動が行われているのも特徴である。特に唄方当初男性もいたが、現在では全て女性担当している。三味線方は男性奏者活躍している。また、古曲や他の新邦楽にも見られる傾向であるが、演奏家は他のジャンル演奏家兼ねている場合も多い(二代目家元長唄三味線方との兼職であった)。 優美な楽曲が多いため、成立以来舞踊界での人気高く現在の活動中心純粋な演奏会よりも、舞踊演奏となっている。 創設者大倉多方面芸術造詣深かったため、発足当時から豪華な作家陣擁しており、作詞には長田幹彦笹川臨風西條八十長谷川時雨北原白秋など当時文壇歌壇代表する作家参加している。 作曲には大和楽演奏家として活躍した岸上きみ、先に挙げた宮川寿朗らがあたり、大倉自身も数曲作詞作曲を手がけている。 その他洋楽畑から團伊玖磨藤原義江原信子などの音楽家参加し観賞用作品に関わっていた。 また、杵屋佐吉門下優れた唄方として邦楽屈指の人気誇り活躍していた、三島儷子(後の大和美代)を唄方迎え大和楽順調な滑り出しとなった1965年昭和40年前後に、大倉岸上宮川の3巨頭相次いで亡くなり大和楽不遇の時代となった三島中心となって活動したが、相方となる三味線方がいなかったため、演奏充実とは程遠い時期であった。そのため作家として作品提供していた清元榮三郎や、四世清元梅吉演奏参加した時期もあったが、いずれも本格的に参加するには至らなかった。 1969年昭和44年)、長唄三味線方で、芳村伊十郎門下芳村伊十七大和久満)を立三味線首席奏者)・作曲家迎え、時を同じくして流儀運営としての大和流復興初代家元大和美代理事長大和久満理事大和三千世、大和秀が就任したが、一部演奏家にはその復興に不満を持つ者もおり、2派に分裂した分裂した一派は現在でも本名で演奏活動行なっているが優勢とは言い難い。 また清元榮寿郎との関係から、清元演奏家清元姓のまま、或いは本名大和楽演奏行なう場合もある。 大和美世没後は、1987年昭和62年)に大和久満二代目家元となる。 2012年(平成24年)、大和久満の実娘、大和櫻笙三代目家元襲名

※この「音楽的な特徴と歴史」の解説は、「大和楽」の解説の一部です。
「音楽的な特徴と歴史」を含む「大和楽」の記事については、「大和楽」の概要を参照ください。

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