革命の推移とは? わかりやすく解説

革命の推移

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 22:41 UTC 版)

7月14日革命」の記事における「革命の推移」の解説

1958年7月14日アブドルカリーム・カーシムらに率いられ自由将校団グループ王政打倒した。 このグループ汎アラブ主義信奉しており、クーデターによって国王ファイサル2世はじめ、摂政皇太子アブドゥル=イラーフ首相アラブ連邦首相ヌーリー・アッ=サイードらを殺害した自由将校団グループ1952年エジプトムハンマド・アリー朝王制打倒エジプト革命)したナセル率いエジプト自由将校団モデルにしていた。彼らは様々な党派派閥代表しており、急進主義汎アラブ主義学校席巻していた中で育った世代でもあった。ほとんどがスンニ派中流家庭出身であった1952年以前10年間、中東起きた様々な事件影響受けており、エジプト自由将校団第一次中東戦争での敗北経験し体制転換への義務感感じ始めた。彼らは、当時アラブ諸国体制腐敗しており、アラブ統一妨害し各国困窮させていると考えていた。それらを倒すことが自分たちの使命であると捉えていた。エジプト自由将校団によるエジプト王政打倒成功イラク将校影響与えたイラク自由将校団グループ地下組織であり、クーデター計画実行タイミングについてはアブドルカリーム・カーシムとその参謀アブドッサラーム・アーリフ大佐の手委ねられていた。彼らは当初、エジプト・ナセル大統領支援と、アラブ連合共和国エジプトとシリア統合して誕生していた)の協力求めていた。なぜなら、イラク王国が、イギリスイラントルコなどから構成される中東条約機構加盟しており、他の加盟国クーデター介入してくるのではないか懸念していたからであった。しかし、ナセル精神的な支援表明しただけで、エジプト実質的な支援を行わなかった。 1958年イラク王政は、アラブ連合共和国属すシリアエジプト挟まれ王政派のクーデター危ぶまれていたヨルダン王国支援のため、イラク軍部隊ヨルダン派遣命じたが、それがクーデター実行チャンスとなった。カーシムやアーリフの部隊バグダード経由派遣されることになった結果として、アーリフの率い陸軍部隊バグダード進軍しクーデター決行した1958年7月14日早朝バグダード放送局占拠し司令部を置き、以下のようなクーデター決行声明放送した。「…我々は帝国主義者その手下である現政権非難する旧体制終焉新し共和国誕生をここに宣言する。…3名の評議員からなる臨時主権評議会臨時大統領任命しその後新大統領選出のための選挙を行うことを約束する…」。 アーリフは彼の連隊から2つ分遣隊派遣した一方国王ファイサル2世皇太子アブドゥル=イラーフらのいる宮殿に向かわせ、もう一方ヌーリー・アッ=サイード自宅に向かわせた。宮殿では衛兵との衝突起きたが、皇太子抵抗はなかった。 しかし、午前8時頃に国王ファイサル2世皇太子アブドゥル=イラーフ王女ヒヤム、王女ナフィーサ、王女アバディアら王室一家従者達は、宮殿から離れる途中で殺害されイラクハーシム王朝断絶したその間サイードのみは追っ手の網をかいくぐってチグリス川渡り一時的に逃げることが出来た午前中までにカーシムの部隊バグダード到着し国防省建物司令部置いたクーデター勢力関心サイード居場所特定移っていた。サイード取り逃がしたことは初期クーデター成功に傷をつける出来事であったサイード捕獲10,000イラク・ディナール懸賞金かけられ大規模な捜索始められた。翌7月15日アバヤ着て女性変装して逃走するサイードが、バグダード市内通り発見された 。彼とその同行者射殺され遺体午後に共同墓地埋葬された 。 サイード死に続いてバクダード市内秩序失われ市民暴徒化した。アーリフが「売国奴」の粛清呼びかけたことで拍車がかかり、制御不能暴徒たちがバグダート市内溢れた皇太子アブドゥル=イラーフ遺体宮殿から運び去られ損壊され上で市中を引き摺られ、最後に国防省前に吊り下げられた。バグダード・ホテルに滞在していた数名外国人ヨルダン人や米国人含む)も暴徒によって殺害された。カーシムの出した外出禁止令暴徒はようやく沈静化したが、それでも翌日にはサイードの墓が暴かれ遺体損壊され市中引き回された。

※この「革命の推移」の解説は、「7月14日革命」の解説の一部です。
「革命の推移」を含む「7月14日革命」の記事については、「7月14日革命」の概要を参照ください。

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