青壮年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 16:43 UTC 版)
東京大学の大学院を単位取得満期退学した1985年、椙山女学園大学に採用され、講師に就任した。以来、長年にわたって、椙山女学園大学にて教鞭を執った。1988年には助教授に、1996年には教授に昇任した。また、その間には他の役職も兼任しており、1993年からはフランスの社会科学高等研究院にて客員研究員を務めた。1998年に静岡県立大学に転じ、教授に就任した。現在は、静岡県立大学の国際関係学部にて、国際言語文化学科の教授を務めている。また、兼任する役職として、静岡県立大学の大学院にて、国際関係学研究科の教授を務めている。さらに、国際関係学研究科の研究科長に選任された。2020年3月31日、定年により静岡県立大学の教授を退任した。
※この「青壮年期」の解説は、「林芳樹」の解説の一部です。
「青壮年期」を含む「林芳樹」の記事については、「林芳樹」の概要を参照ください。
青壮年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:38 UTC 版)
第二次大戦が終わると、いずれの層(特に昭和8年生まれ以降)も金の卵など若い労働力として戦後復興の担い手となった。昭和一桁生まれの子供世代は、主に昭和30年代生まれであり、「新人類」と呼ばれている。子供が生まれた時期は主に安保闘争前夜から東京オリンピックまでの高度経済成長の序盤の時期であり、この時期に「三種の神器」と呼ばれた白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫を買いそろえた者も多い。また、1960年代後半以降になると後期生まれの層を中心にマイカーを持つ者も徐々に増えていった。 「昭和ひとけた」という語が発生したのは、『昭和ひとけたの人間学』(1978年)における福田邦夫によれば、この世代が満36歳 - 満44歳を迎える1970年(昭和45年)前後であるとされ、野坂昭如(1930年生まれ)によれば、この世代が「花の中年」「違いのわかる年代」になった時代であるという。「花の中年」とは野坂、永六輔(1933年生まれ)、小沢昭一(1929年生まれ)による「花の中年トリオ」(1974年)、「違いのわかる年代」とは、1967年(昭和42年)に発売されたネスカフェゴールドブレンドのキャッチコピー「違いのわかる男のゴールドブレンド」に由来する表現である。小林桂樹(1923年 - 2010年)が「昭和元年生まれの社長」を演じた劇場用映画『昭和ひとけた社長対ふたけた社員』(東宝)が公開されたのは、1971年(昭和46年)5月22日であり、同作の主人公である「昭和ひとけた」の人物は、公開当時「満44歳」ということになる。
※この「青壮年期」の解説は、「昭和一桁」の解説の一部です。
「青壮年期」を含む「昭和一桁」の記事については、「昭和一桁」の概要を参照ください。
- 青壮年期のページへのリンク