電気式補聴器
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電気式補聴器が登場したのは、電話機とマイクロフォンがそれぞれ1870年代と1880年代に発明されて後のことだった。もっとも初期の電気式補聴器は、小形の電話機そのものだった。電話機の技術により音の大きさや周波数、歪の制御が可能になり、補聴器の機能は大きく広がった。 専用の電気式補聴器は1898年にミラー・リース・ハチソン(英語版)によって初めて作られた。最初のモデルは卓上設置型で、2年後には「アコーフォーン」と名付けられた携帯用モデルも発売された。これらには音声によって電流を変調することで信号増幅を行うカーボンマイクロフォンが用いられていた。シーメンスは電気的な増幅機能を持つ補聴器を製品化した最初の会社の一つである。1913年に作られた同社の初期モデルは、「高さのある葉巻箱」ほどの大きさで携帯は難しかったが、耳に差し込むスピーカーを備えていた。やがてカーボン補聴器が小型化されると、ポーチやカメラのような小物に偽装した商品も作られた。 1900年代に発明された真空管は優れた信号増幅性能を持っており、通信技術を大きく前進させた。1920年、海軍技師アール・ハドソンは最初の真空管補聴器の特許を取った。「ヴァクチュフォーン」と名付けられたハドソンの補聴器は電話機用の送話器を用いて音声を電気信号に変換し、真空管で増幅してから受話器で音声信号に戻していた。重さは7ポンド(約3.2 kg)で持ち運びも可能だった。米国のウェスタン・エレクトリック社は1923年に真空管式補聴器の市販モデルを始めて開発したが、220ポンド(100 kg)の重さと5000ドルの価格を持つ「オーディオフォーン」は一般人が気軽に手を出せるものではなかった。このような大型モデルはろう学校の教室に備え付けられる例があった。 真空管補聴器は音の再現性がよく、増幅性能も70デシベルまで向上した。また難聴者の社会運動の影響もあり、1920年代から1930年代にかけて真空管補聴器は一般に普及していった。1920年代半ばに開発された「アコースティコン」56型は携帯用モデルとして最初期のものである。着用可能な真空管補聴器は英国で1936年に、米国では翌年に最初に発売された。 補聴器の利用者にとって機器が目立たないことは重要な要素だった。真空管の登場後も、隠蔽性を重視して増幅性能の劣るカーボン補聴器を選ぶ使用者は多かった。1930年代に登場した着用式モデルはマイクロフォンとバッテリーを別々に衣服の中に隠すことができた。第二次世界大戦で周辺技術が進歩すると、耳の中に隠せる小型受信機も登場した。1940年代にはサブミニチュア真空管やプリント回路、ボタン型電池といった新しい技術を採用した一体型補聴器が登場し、モダンなデザインによって補聴器のイメージを変えていった。当時の流行はゼニス(英語版)社のポケットサイズモデル「ミニチュア75」に見ることができる。このころの補聴器はエレクトロニクスの小型化技術の「実験場」であり、サブミニチュア真空管のように、補聴器のために開発された技術が標準化した例もあった。 ジョセフ・ポリアコフが1937年に特許を取った「テレコイル」は電話機の音声信号を磁気的に受信する部品で、通話音声以外のノイズを除去することができた。テレコイルを採用した補聴器はロンドンのマルチトーン(英語版)社によって最初に製品化された。この技術が原型となった「ヒアリング・ループ」は21世紀にも用いられている。
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