開削区間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 09:19 UTC 版)
木売落の新規開削については、木売落排水機場にその経緯が碑文として残されている。 以下はその全文である。 木売落は、吉川市大字上内川字下方六地先の低湿地帯を起点とし、大字川藤小左衛門前で二郷半領用水路を伏越して、中川に放流される排水路である。 この排水路は、古くは伏越より二郷半領用水路と背割堤を挟んで併流し、吉川市大字木売地先の排水樋管より中川に放流されていたが、両水路の河床の高低差が甚しく、背割堤が狭小であったことから、たびたび決壊を起こしていた。また、水路も狭小のうえ、排水河川である中川の水位上昇により排水不良となり、湛水の常習地域であった。 このため、昭和九年には二郷半領用悪水普通水利組合と協議を重ね、伏越から中川へ直接放流する四百メートルの水路が新たに開削され、昭和二十六年に完了した耕地整理とともに、水路のほぼ全線が改修された。 また、土地改良法の制定に伴い、昭和三十三年に旭土地改良区が設立され、木売落の維持管理を行うことになった。 以降、早場米を中心に水田農業を展開してきた木売落地区も、近年においては都市近郊の優位性から、ネギ、レタス、ブロッコリーを中心とする野菜作りが普及し始め、転作に意欲的な農家が増えてきた。 しかし、もともと低湿地である本地区は、耕作整理が行われたものの、排水の抜本的な改良がなされなかったことから、湿害を嫌う野菜作りには、まことに不適な土地柄であったため、本地区の基幹排水路である木売落を再度改修し、排水条件の改良を望む声は日増しに高くなってきた。 当時の理事長は、町の指導を仰ぐとともに役員、総代に諮り、組合員の同意を得て、水路改修事業の促進の陳情を重ね、昭和五十一年、ついに事業化の調査が開始された。 昭和五十四年、県営かんがい排水事業として農林水産省の採択を受け、昭和五十六年より工事に着手した。 以来、二十年の歳月と総事業費四十二億九千万円余りの巨費を投じ、中川樋管、排水機場を新設するとともに、排水路、橋梁を改修し、平成十一年三月に完了した。 これにより、組合員の願望百年の大計は達成し、水禍の不安は解消され、古くから水との戦いがあった本地区の農業は、新しい一歩を踏み出すこととなったのである。 ここに、永年に亘り事業施工の指導を賜った県、吉川市、松伏町と関係各位のご協力に深く感謝し、その概要を記して、永く後世に伝えるものである。 平成十一年三月吉日
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