開創の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:25 UTC 版)
「サンフランシスコ禅センター」の記事における「開創の経緯」の解説
1959年5月23日、鈴木俊隆が日本より日本街にある桑港寺住職に着任した。1961年には彼の妻の鈴木みつも日本より来た。 桑港寺は磯部峰仙が1934年に、現在は老人ホームとなっている旧シナゴークに開設された曹洞宗の寺院で、鈴木の赴任時は、日系アメリカ人の信徒で占められていた。 鈴木の着任時は、丁度ビート・ジェネレーションと60年代の社会運動の最後の波で、その動きがサンフランシスコにも来ていた。やがて桑港寺にも、それらの非日系人が朝、坐禅をしに来るようになった。彼らはすぐに定期的に参禅するようになり、その数は日系人を超えるまでになった。そして、それは桑港寺の信徒内部に対立をもたらした。 そこで、1961年に、桑港寺内ではあったものの、西洋人の参禅者を対象として別個に指導するようにしたところ、対立は緩和された。 その後、1962年に、禅センターとして結実した 。
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