閉会以降の経過
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長久手会場は、施設の撤去などを経て、2006年7月15日に愛・地球博記念公園として整備された。瀬戸会場については、海上の森全体が愛知県の管理地となり、「瀬戸愛知県館」は改築され、森の管理と研修を行う施設「あいち海上の森センター」として、同年9月25日に開設。 施設については、基本的には一部を残して解体され、資材を他所へ転用するといわれる。これらの作業は約1年かけて行われた。 愛・地球博記念公園 人気があったサツキとメイの家などは愛知県が引き取り、2006年7月15日から再度公開を開始した(抽選制を継続)。 迎賓館は「愛・地球博記念館」となり、本博覧会を記念する資料館になった。 本博覧会を象徴する円周歩道のグローバル・ループは、一部が残された。また、大観覧車も残され2006年7月15日から再度使用開始された。 展示物については、愛知県のフレンドシップ事業で交流した会場周辺都市の公共施設を中心に移されて展示されるものが多い。主な展示物の行き先また、各種装飾や用品の一部はインターネットオークションを用いた一般への販売も行われている。 2005年9月26日IMTSがトヨタ自動車広瀬工場に移動展示状態ではミラーがないため公道を走行できないが、一時的にミラーを装着し、仮ナンバーで移動 アメリカ館で展示されていたライト兄弟のグライダーのレプリカが中部国際空港に移動、早速、翌27日より公開された 各国政府代表者向けにレセプションホールで謝恩会を開催 各パビリオンのスタッフ向けにEXPOドームで慰労会を開催3,000人しか収容能力のないEXPOドームに約5,000人が殺到 2005年9月27日イベント出演などで来日した8カ国(インドネシア、インド、パキスタン、スリランカ、ネパール、ナイジェリア、セネガル、カメルーン)、33人の外国人が行方不明となっていることが判明。一部はビザの期限が切れて不法滞在となった。 2005年10月6日JR東海超電導リニア館に展示してあったリニアモーターカーMLX01-1が未明に搬出。名古屋市港区のJR東海子会社の所有地に放置され、対腐食実験などを行う。後にJR東海が2011年に開館予定のリニア・鉄道館にて再度展示する予定。 2005年11月16日感謝の夕べが都内のホテルで行われ、皇太子名誉総裁、小泉名誉会長、豊田会長ら多くの関係者が出席した。 2006年7月15日長久手会場跡地が「愛・地球博記念公園」として整備され、一部施設(サツキとメイの家、観覧車、愛知県児童総合センターなど)がオープン。 2006年9月25日瀬戸会場跡地の一部と旧瀬戸愛知県館が「あいち海上の森センター」として整備され、オープン。施設の愛称は万博時にパビリオンに住み着いたムササビの名前にちなんだ「ムーアカデミー」という(一般公募で決定)。各種自然体験教室を展開。海上の森全体の管理施設と自然体感・学習施設の機能を担うことになった。オープンに前後して万博のプログラムであった海上の森の見学ツアーを再開。さらに万博のパビリオン施設であった「窯の歴史館(平安中期の窯跡を保存した)」、「繭玉広場(休憩所を兼ねた展示施設)」、「物見の丘(高さ14メートルの展望台がある丘)」を再開した。 2006年12月31日この日をもって2005年日本国際博覧会協会が解散。翌2007年1月から3月までは清算法人として清算業務および、協会の継承先である財団法人地球産業文化研究所への引継ぎ業務が行われていた。
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