各パビリオン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 01:55 UTC 版)
「パリ万国博覧会 (1925年)」の記事における「各パビリオン」の解説
会場には参加各国やフランスの様々な企業・団体による150ほどのパビリオンが建ったが、会場の3分の2はフランスの様々なパビリオンが占め、それぞれ過去の作品ではなく、現代にデザインされ製作された最新の製品が展示された。パリの四つの大手デパート(ルーブル百貨店(フランス語版)、ボン・マルシェ、ギャラリー・ラファイエット、プランタン)がそれぞれ出したパビリオン、フランス装飾芸術家協会が「フランス大使館」をテーマにし架空のフランス大使公邸を想定して展示したパビリオン、著名な家具デザイナーのジャック=エリック・リュールマン(Émile-Jacques Ruhlmann)らが架空の美術コレクターの家をテーマに手掛けた「コレクショヌール・パビリオン」などは主なものである。これらのパビリオンには贅沢で滑らかな素材を手作業で一つ一つ仕上げた高級な家具や衣服が並んだ。 各国のパビリオンは、それぞれの国の国民的伝統を強調しながら、前衛的芸術やデザインを反映させた展示を行った。オーストリア館はウィーン分離派やウィーン工房の中心メンバーの一人であったヨーゼフ・ホフマンが手がけ、フレデリック・キースラーが展示に参加している。オランダ館は植民地インドネシアの工芸品に由来する異国的なデザインを展示し、他のヨーロッパ諸国同様ポーランドもナショナリズムや国民的伝統を背景に民俗芸術に基づくデザインを数多く出した。ポーランドのグラフィック・デザイナーはこの博覧会で躍進し、LOTポーランド航空が現在も使用するロゴを1929年にデザインしたタデウシュ・グロノフスキ(Tadeusz Gronowski)も受賞している。 フランスがこの博覧会で大きな存在感を示したことには、ドイツとアメリカ合衆国の不在がある。旧敵国ドイツはこの博覧会に招待されず、招待通知が届いた時期にはすでに準備が間に合わず不参加となった。第一次世界大戦後、世界一の大国となりつつあったアメリカ合衆国は参加を辞退した。 コレクショヌール・パヴィリオン コレクショヌール・パヴィリオンの内装 ギャラリー・ラファイエット・パヴィリオン ポーランド・パヴィリオン
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