遺跡の構成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 15:17 UTC 版)
遺跡の範囲はおよそ1.5 km × 0.7 km で、人工島の数は100以上である。 島の面積は160 m2から12,700 m2まで、かなりの差がある。遺跡に使われた石材の総体積は30万m3、総重量は50万トン(メトリックトン)に上ると見積もられている。その石造遺跡群の規模はミクロネシアで最大級とされるだけでなく、オセアニアで最大とも言われる。また、太平洋島嶼の巨石記念物群で都市化していたといえるのは、ナンマトル以外ではトンガ大首長国の都市遺跡のみである。 人工島は、外枠を柱状の玄武岩で仕切り、その内側を砕けたサンゴや砂で埋め立てる方式によって作られている。島によっては、その上に柱状の玄武岩を組み合わせた建造物が建っていることもある。人工島そのものの高さは1、2メートルで、満潮時にはそのかなりの部分が海面下にあるため、あたかも玄武岩の構造物群がそのまま海上に建てられているかのような景観を呈する。文化人類学者・考古学者の植木武は、その光景を「規模壮大にして風光明媚」と評している。 人工島の構造物は、柱状の黒褐色玄武岩を縦横交互に積み重ねた囲壁が築かれている。この長手(長い側面)と小口(断面)が交互に層を成す壁面は、後述するように、世界遺産登録に際しても顕著な普遍的価値を認められた。なお、小口積みと長手積みの組合せはレンガのイギリス積みのようだが、ナンマトルの石組みは端の部分を反り上がらせる組み方をしているものがある(画像参照)。 玄武岩の小口はたいてい五角形ないし六角形をしているが、これは柱状節理を利用したものである。すなわち、玄武岩は以前ポンペイ島が火山活動をしていたころ、マグマが地下深いところでゆっくり固まって形成されたものとされ、自然に五角形または六角形に割れるため、加工しやすいが非常に硬い。 伝承によると行政、儀礼、埋葬などそれぞれの島で機能分担していたとされる。その一方、人工島の間の海は張り巡らされた水路のようになっており、それを塞ぐことで、敵の侵入を防ぎやすい構造になっていることから、その全体は一種の水城であったとも考えられている。なお、現存する水路は、シルトの堆積やマングローブの繁茂などによって塞がれてしまった区画もあり、後述するように、その対応が世界遺産登録に当たっても論点となった。 ナンマトルには全体を北東部と南西部に二分する伝統があり、現代でもそれが踏襲されている。前者は主に司祭者が居住した上マトル(マトル・ポーウェ ; Madol Powe / Upper Nan Madol)で、後者は歴代シャウテレウルが居住し、執政や儀式の場となった下マトル(マトル・パー ; Madol Pah / Lower Nan Madol)である。上マトルと下マトルでは島の数が2倍ほど違うが、前者は小さめの島が多くひしめいているのに対し、後者は大きめの島が点在し、島の密度は低い。推測される労働投下量が最大なのは上マトルの葬送儀礼に関する施設群で、上マトルの司祭者たちの居住地はおろか、下マトルの王族の居住地をも上回る。このことは、その儀式が重視されていたことを示すと考えられている。 以下、上マトルと下マトルのいくつかの人工島について概説する。太字は人工島の名前である。
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