遺跡の特色
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:58 UTC 版)
当遺跡は、南九州では最大規模の大型建物の存在からみて、この地方の有力者の邸宅であったとみられる。敷地南端に立っていた門は、主柱の前後に控柱2本ずつを立てる四脚門という形式だが、この形式の門を建てられるのは、平安京では大臣以上に限られていた。出土品には施釉陶器や貿易陶磁器が多数含まれるが。これは当時一般の人々が手にすることのできなかったものである。土師器の坏も多数出土しているが、これらはおもに酒宴で用いられ、宴が終わった後には廃棄されていたもので、大人数を招いての宴会が開かれていたことが想像される。 この邸宅が営まれた9世紀後半は、律令国家の変容とともに、各地で在地の豪族が強大化する時期にあたっている。当遺跡は平安時代の南九州における、在地の有力者の邸宅の状況を具体的に示すものとして貴重である。
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