トンガ大首長国
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トンガ大首長国(トンガだいしゅちょうこく、別名:トゥイ・トンガ帝国、英語:Tu'i Tonga Empire)は、オセアニアにおいて大きな勢力を誇った大首長国(領域交易圏帝国)である。トンガタプ島のトンガを中心とし、首都をムアに置いていた。海洋国家としての側面も強く、その最盛期には、交易帝国はニウエからティコピアに広がり、その影響圏は更に広大な領域に及んでいた。
- ^ An Encyclopedia 2000, p. 133.
- 1 トンガ大首長国とは
- 2 トンガ大首長国の概要
- 3 内戦と1875年の憲法
- 4 参考文献
- 5 関連項目
トンガ大首長国
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詳細は「トンガ大首長国」を参照 10世紀頃、サモア人を両親に持つアホエイトゥ(英語版)(ʻAhoʻeitu)によってトンガが統一され、トンガ大首長国(Tu'i Tonga トンガ帝国)が建国された。トンガ大首長国は12世紀頃、第9代大首長モモ(英語版)(Momo)と第10代大首長トゥイタトゥイ(英語版)(Tuʻi-tā-tui)の時代に拡張政策を行い、トンガのほかにサモア諸島やフィジー諸島、果てはサンタクルーズ諸島のティコピア島にまで至る大帝国を築き上げた。 15世紀頃、暴君であった第23代大首長タカラウア(Takalaua)の暗殺を機に、トンガ大首長国では宗教的な権力と世俗的な権力が分離した。そのため、従来のトゥイ・トンガ(英語版)(大首長)の称号のほかに世俗的な権力を担うトゥイ・ハアタカラウア(英語版)(Tuʻi Haʻatakalaua)の称号が誕生し、それぞれタカラウアの長男であるカウウルフォヌア1世(Kau'ulufonua I)とその弟モウンガモトゥア(Mo'ungamotu'a)の家系が世襲することになった。しかしこの後、内乱によってトンガ大首長国は衰退し、1600年頃にはマリエトア(英語版)一族によって、サモアでの影響力を失った。 1610年頃、新たにトゥイ・カノクポル(英語版)(Tuʻi Kanokupolu)が誕生する。トゥイ・カノクポルは第6代トゥイ・ハアタカラウアの分家であったが、やがてトゥイ・ハアタカラウアと世俗的な権力を巡って競合するようになった。
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