トンガ大首長の衰退と二つの新王朝
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トゥイ・トンガ(トンガ大首長)の衰退は、無数の戦争と内的な圧力により始まった。これに応じ、ファレファー(falefa)が、交易帝国の政治的顧問として設立された。ファレファーは初期においては、王朝の運営を維持するのに成功したが、圧力は残存し、幾人かの統治者の暗殺が引き続き起こった。もっとも著名なものは、ハヴェア1世(Havea I,第19代トゥイ・トンガ)、ハヴェア2世(Havea II,第22代トゥイ・トンガ)、そしてタカラウ(Takalau,第23代トゥイ・トンガ)であり、彼らは暴君的な支配で知られた。 1470年頃のタカラウの暗殺は、交易帝国の再編に繋がった。トンガ大首長の権能は削られ、純粋な宗教的役割に限定される他方、世俗的目的で、新しい王朝であるトゥイ・ハアタカラウ(Tu'i Ha'atakalau)が形成された。この称号のもとでの最初の統治者は、モウンガモトゥア(Mo'ungamotu'a)で、彼はタカラウの長子であり、次代(第24代)のトゥイ・トンガ称号継承者となったカウウルフォヌア1世(Kau'ulufonua I)の弟であった。 この体制は、続く百年以上に渡り成功したが、しかしトゥイ・トンガ体制と類似して、新しい王朝は、内外からの圧力の増大に直面し、この結果、第三の王統であるトゥイ・カノクポル(Tu'i Kanokupolu)が成立した。この期間と続く期間のあいだに、交易帝国は一層に中央集権化し、その過程において、影響力の大部分を喪失した。1600年には、帝国は、マリエトア一族(Malietoa)によってサモアから駆逐された。
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