過去の主な対応など
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「志賀原子力発電所」の記事における「過去の主な対応など」の解説
1989年11月9日、基礎工事で納入した鉄筋の中に、試験データが捏造されたJIS規格違反のものがあったことが、北陸電力により発表された(詳しくは原子力発電の事故隠し・データ改ざん一覧を参照)。 1999年6月18日、定期検査中に制御棒1本の緊急挿入試験を行なっていたが、操作手順を誤った事から3本の制御棒において15分間臨界起こした。しかし北陸電力はこれを直ちに国に報告せず、検査記録を改竄するなどして隠蔽を計り、2007年3月15日になってこの事故の存在が明るみに出た。このために経済産業省の要請によって1号機を停止した。 2004年6月10日、1号機で廃棄物処理建屋内における水漏れ 2005年4月1日、石川県羽咋市で高さ90メートルの北陸電力能登幹線の鉄塔が、大規模な地滑りの影響を受け倒壊し、送電できなくなったため1号機を4時30分に手動停止。6月に運用開始予定であった能越幹線の運用を早め、4月26日、運転再開。その後、能登幹線は2006年6月に復旧したが、倒壊現場を避けるためにルートが変更され、それに伴い鉄塔が2本減らされた。 2006年1月26日、2号機 営業運転に向け試験中、原子炉隔離時冷却系の蒸気供給隔離弁の試験をおこなったところ、2つあるうちの1つが全閉できなかった。その後、全閉することを確認したが、詳細に点検するために原子炉を停止する。 2006年3月24日、耐震性の疑問に対し金沢地方裁判所より2号機に対し運転差し止め命令が命じられる(ただし2009年3月名古屋高裁で取消判決、2010年10月最高裁で確定)。北陸電力側はただちに控訴、運転を止める予定はない表明。しかし後に、タービン関連のトラブルで停止している間に耐震強度を高めるための工事を行う。 2006年7月18日、2号機のタービンにひびが入っていることが確認される。6月15日にトラブルを起こした中部電力の浜岡原子力発電所5号機とタービンが同型であったため、7月5日以降、点検が行われていた。応急処置として、問題箇所の羽根を整流板に付け替えた上で2007年4月に運転を再開するという。羽根がなくなった分だけ出力が落ちるため、新しいタービンに入れ替えるまでは120.6万kWで送電することとなる。 2006年11月6日、1号機の発電機コレクタリング冷却ファンに記録用紙が吸い込まれ、周囲の音や振動が変化した為に原子炉を停止する。1週間程で点検を終える予定だったが、中性子計測器の接続ミスが見つかったので運転再開が延期され、点検は同月22日までかかった。このトラブルが原因で、点検時に現場周辺へ記録用紙を持ち込む事が禁止される。 2007年3月25日、後述の臨界事故隠蔽による運転停止中、能登半島地震により使用済み燃料貯蔵プール周辺に約45リットル(放射能量約750万ベクレル)の放射能を帯びた冷却水が飛散した。その内約8リットル(放射能量130万ベクレル)が飛散したのは養生シートのない部分だった。 2009年4月13日、2号機の気体廃棄物処理系で通常の約300倍の放射性物質(キセノン133)が検出されたと発表した。同機の出力を約70万キロワットに落とし、放射性物質の漏洩場所の特定作業を行う。外部への放射能の影響はないとしている。 2013年5月、定期検査中の1号機・低圧タービンにおいて、動翼の付け根、植え込み部にひびが発見された。ひび割れは4か所、長さ0.4mmから1.5mmのものであった。 2021年8月10日、2号機の安全装置に不具合が生じていたと発表した。不具合が生じたのは安全装置である主蒸気隔離弁で、基盤の故障が原因。7月6日に異常を知らせる警報が鳴ったことで判明したという。
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