過去に政治決断と称された事案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 06:08 UTC 版)
「政治決断」の記事における「過去に政治決断と称された事案」の解説
1977年、フランスのパリにおいて日本航空機が、経由地のインド、日本赤軍によりハイジャックされ、身代金の要求等がなされた。日本国政府は議論の末、当時の福田赳夫首相が人命は地球より重いと述べて、身代金の支払い及び、超法規的措置としてメンバーなどの引き渡しを決断。身代金と、釈放に応じたメンバーなど6名をダッカへ輸送した。この決断に関しては、賛否両論の声があった。 2001年(平成13年)、熊本地裁は、国立ハンセン病療養所にいる入所者がらい予防法による国の隔離政策の継続は違憲であると判断した。当時の小泉純一郎首相は控訴することを断念した。これまで厚生労働省では、薬害や公害等による訴訟に関しては最高裁まで争うことが通常であったが、政治決断により、控訴を断念している。 2001年(平成13年)、金正男と見られる男性が、偽造パスポートを使って日本への密入国を試みた際、成田国際空港で東京入国管理局によって身柄を拘束される事件が発生。外交問題に発展することを恐れた当時の第1次小泉内閣の判断により、退去強制処分とされ、中華人民共和国に強制送還した。 2006年高等学校必履修科目未履修問題で、当初伊吹文明文部科学大臣が慎重な姿勢を示していたが、安倍晋三首相の政治判断を受け、救済措置を取ると方針転換した。しかしこの措置は、学習指導要領に基づいたカリキュラムで学習した生徒たちからは批判された。 2007年薬害C型肝炎問題で原告側は裁判の長期化等を避けるために、国に対して政治決断を声高に求めた。当時の福田康夫首相は、原告側の声や世論の声等を背景に、最終的に被害者を一括救済することを決めた。大阪高等裁判所から提示されていた和解案は病状に応じて補償額を変えているものであったため、患者側の反発を受けていたが、これを政治決断で解消した形となった。福田内閣の支持率低下が背景にあるとも言われている。 2010年国営諫早湾干拓事業問題で福岡高裁が5年間の常時開門を命じた判決に対して、農林水産省や長崎県は上告する姿勢を示していたが、菅直人首相が、政治決断により、上告を断念した。 2011年、清水正孝東京電力社長から海江田万里経済産業大臣へ福島第一原発事故現場からの作業員撤退の意向の申し出があったが、菅直人首相は、政治決断により、作業員の撤退を認めなかった。 2011年、福島第一原発事故問題の折り、菅直人首相が、法的根拠がないにもかかわらず、中部電力へ浜岡原発の停止を要求。野党からの追及に「政治決断だ」と自認した。 2021年、広島への原爆投下直後に、黒い雨を浴びて健康被害を受けたとして、国が指定した援護区域の外にいた原告の住民が被爆者に該当するかについて争われた裁判で、広島高裁は、原告全員を被爆者と認め、被爆者健康手帳を交付するよう国に命じた。菅義偉首相は上告することを断念した。厚生労働省では、公害による訴訟に関しては最高裁まで争うことが通例であるが、政治決断により、上告を断念している。
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