連敗・その後も続いたワースト記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 08:05 UTC 版)
「勝南桜聡太」の記事における「連敗・その後も続いたワースト記録」の解説
2019年3月場所では、7番相撲を終えて7戦全敗であったが、千秋楽に八番相撲が組まれた。しかし、対戦相手の渡部(尾車部屋)に敗れ「0勝8敗」となった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}これは1960年7月場所より幕下以下一場所7番制が導入されて以降、1984年9月場所の佐野(東序ノ口50枚目・二所ノ関部屋)が記録して以来約35年間確認されておらず、平成では唯一の記録とされる。[要出典] 2019年5月場所2日目、令和最初の取組・北島(朝日山部屋)との対戦では「元号が変わり、違う自分を見せよう」と臨んだが、防戦一方のまま突き出された。取組後の取材では「相手が新弟子で情報が少なかったこともあり緊張した」と敗因を自己分析し、令和での飛躍を誓った。 2019年7月場所3日目・2番相撲では、山本(朝日山部屋)との対戦で立ち合いから一気に攻め込んで土俵際まで押し込み、土俵際で山本の下手投げに倒れながらも寄り倒し、軍配は服部桜に上がったものの物言いがつき、山本の下手投げで服部桜の足が先に土俵の外に出ていたとして、行司軍配差し違いとして敗れた。自身の取組で物言いがついたのは初めてであったが、結局同場所も同取組を含めて負け続け7戦全敗、13日目・7番相撲では同日のみ出場した村田(高砂部屋・現在は十両朝志雄)と対戦したものの立合一瞬の押しを受け、両足が同時に宙に浮く程の勢いで押し倒された。 以降も尻込みする相撲が目立ち連敗が続き、2020年も1年間5場所皆勤しながらも1勝も挙げることが出来なかった。 尚、2020年3月場所も13日目の7番相撲を終えて7戦全敗であったが、14日目に千代大宝(九重部屋)との対戦で八番相撲が組まれ、これにも敗れ自身2回目の「0勝8敗」。上述の通り、同一の力士が幕下以下で「0勝8敗」を複数回記録したケースは史上初とされる。[要出典]さらに2020年9月場所及び2021年1月場所でも八番相撲が組まれていずれも敗れ、引退までに通算4度の「0勝8敗」を記録した。 2021年1月場所より、四股名を勝南桜 聡太に改名(勝南桜の「勝南」は「敗北」の対義語として作った造語)。出身の「湘南」地方と「勝つ」と師匠の現役時代の「桜」を掛け合わせ、下の名前である「聡太」は、自身が将棋好きであることから、プロ棋士藤井聡太に肖った。 2021年3月場所13日目の7番相撲でそれまでの連敗記録「89」を「90」に更新。朝日新聞はこれを「超えてはいけない大記録」と報じた。 2021年5月場所では、前場所に前相撲が実施されず、出場予定だった新序力士37人全員が前相撲未勝利として扱われ、勝南桜より番付下位に編成された関係上、東序ノ口9枚目まで昇進し、12場所ぶりに自己最高位を更新した。しかし連敗は続き、2021年7月場所7日目・3番相撲で京の里(伊勢ノ海部屋)に負けた時点で記録は「100連敗」に到達。最終的には連続皆勤全敗記録を「14場所」まで、本割の連敗記録を「104」まで、それぞれ更新した。
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