農協ダムの建設
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発電所の発注者は中札内村農業協同組合で、監督官庁は札幌通商産業局と北海道十勝支庁(現・十勝総合振興局)であった。設計と工事監理は、発電所の工事経験を持つ土木技術者が札幌通商産業局により斡旋されて担当した。工事は、帯広の土木建築請負業である萩原組(現・萩原建設工業) が担当した。 発電形式は水路式とされ、ダム(堰堤)を建設し、その右岸の取水口から水路で約500メートル下流の発電施設上部まで水を通し、水車を回す方式が採用された。地質調査会社と札幌通商産業局、十勝支庁の河川技術者の立ち会いのもと、ダムと発電所の位置が協議・決定された。ダムの建設地点は大きな岩が川を狭めている所で、この大岩から右岸方向に堤体を建設するよう設計が行われた。 北海道の河川は冬季には凍結して水量が減少する。ダムの堤体工事は、この冬の渇水期に川を堰き止めて一気に終わらせる計画であった。半川締切工法と呼ばれる工法を用い、ダム左岸にあたる大岩を削って排水路を仮設し、ダム上流にあたる部分に締切堤を設けて建設予定地から水を抜き、コンクリート製の堤体を建設する予定であった。しかし、1952年(昭和27年)春まで行われた最初の年の工事では、基礎となる岩盤が現れる前に河川が増水して締切堤が流されてしまい、工事を完成できなかった。また、工事中の大雨の際、流水によって仮排水路の周囲がえぐられてしまっていた。 改めて地質調査を行った結果、岩盤が想定よりも数メートル深いことが分かったほか、周囲の樹木を調査したところ、予定していた堤頂よりも上まで水が押し寄せていた形跡が見つかった。ダムは設計が変更され、当初12メートル(15メートルとの記録もある)を予定していた堤高は18メートルとなり、コンクリート堤体は中央に大岩を残して左右から巻き込むような形となり、堤頂長は59.6メートルに拡大された。設計変更により工事金額は倍増し、翌1953年(昭和28年)の工事も難航した。最後は、毎日増水してくる雪解け水との競争となり、際どいところで完成したという。完成したダムは、堤頂長59.9メートル、総落差14.05メートル、有効落差9.32メートルであり、「農協ダム」と呼ばれた。また、堤体工事と前後して水路と発電施設も完成し、水車は200キロワットのものが設置された。配電線用地は村民からの提供により確保され、4210本の電柱は村民の労力奉仕によって立てられた。建設費用は1億6千4百万円を要したとされる。 1954年(昭和29年)1月に試験送電が開始され、中札内村、大正村、更別村の750戸に電灯がともった。中札内村史では「村内一面の家庭の中は夜が明けたように点灯された。一球、一球の光が祭りのように賑わった」と記されている。同年6月には竣工式が盛大に執り行われ、村の発展を象徴する式典に村全体が沸いた。
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