軍事におけるルネッサンス
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15世紀におけるルネッサンスの文化的、社会的な影響は軍事の領域においても重要な結果をもたした。この時期に開発された火薬や航海技術は戦争の様相を変える潜在性を持っていたためである。小銃、火砲の開発に伴ってそれまでにない砲兵が戦場に登場する変化が生じた。この変化は軍事思想の全面的な見直す必要を迫ることになり、フィレンツェの行政官ニッコロ・マキャヴェッリは『君主論』、『戦術論』を記して現実主義の政治思想を確立しただけでなく、ヴェゲティウスの文献研究を踏まえてローマ軍を模範とした軍制改革を主張した。またヨーロッパでの三十年戦争の経験はこの軍事学の研究を活発なものとし、ライモンド・モンテクッコリの『戦争論』、フォラール(en:Jean Charles, Chevalier Folard)の『戦争における新発見』、ピュイセギュールの『原理と原則による戦争術』によって古代ギリシア・ローマ戦史としての価値が見直されることとなった。また科学としての戦争学と技術としての戦争術の是非についての論争はこの時期に始まっており、モーリス・ド・サックスは『我が瞑想』で技術としての戦争術を主張する一方で、『軍事的回想』を残したヘンリー・ロイドや『戦術一般論』を記したジャック・アントワーヌ・ギベール(en:Jacques Antoine Hippolyte, Comte de Guibert)、『新戦争体系の精神』の著者ハインリッヒ・ディートリッヒ・フォン・ビューローは啓蒙主義の時代精神の元で戦争における科学的な原理や法則を明らかにすることを論じている。 このように再興された軍事学の研究成果は18世紀においてフリードリヒ大王によって活用され、七年戦争に見られる制限戦争の戦略思想をもたらし、また『プロイセン国王の将軍への軍事教令』などの著作が生み出された。さらに18世紀後半のフランス革命とともに登場したナポレオン・ボナパルトはナポレオン戦争において迅速な行軍と巧みな誘導を組み合わせて敵の側面または後方連絡線へ優勢な戦力を志向する運用でヨーロッパを征服していった。ナポレオン戦争の衝撃によりアントワーヌ・アンリ・ジョミニやカルル・フォン・クラウゼヴィッツによって近代的な戦争理論が基礎付けられることになる。ジョミニは『戦争概論』や『大陸軍作戦論』を残しているが、そこで彼が重視していたのは戦争に勝利するためには普遍的な原理に準拠する必要があるということであり、戦争を研究する科学的方法を示した。一方でクラウゼヴィッツは『戦争論』の中で戦争を技術として捉えながら、そこには暴力性と政治性という二重構造によって左右される社会的現象として捉える理論を構築した。これら戦争理論は以後の科学としての軍事学の発展にとって基礎的なパラダイムとなり、その後の研究を方向付けることとなった。
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