赤眉軍・緑林軍とは? わかりやすく解説

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赤眉軍・緑林軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:32 UTC 版)

光武帝」の記事における「赤眉軍・緑林軍」の解説

王莽禅譲により新朝を開くと、周代政治理想として現実無視した政策実施したため、民心離れ国内各地叛乱発生し匈奴西羌高句麗周辺諸国・諸族の反感を買った14年天鳳元年)、山東琅邪郡呂母なる老女県令殺害され息子の仇を撃つために私財投じて数千徒党集めて反乱起こした呂母県令殺害した後に死去するが、いったん集まった軍勢は法が過酷であり賦税が重いことを理由解散せず、18年天鳳5年)、同郷樊崇兵を挙げる合流し一大勢力となった。この軍は敵味方の識別に眉を赤く塗ったので赤眉軍称されている。政府軍である太師軍(太師王匡)と更始軍(更始将軍廉丹)は強引な兵糧徴収などで民心失い世間では「寧ろ逢うなら赤眉軍太師軍には逢うな、太師ならまだしも更始であれば殺される」 と囃される有り様であった。また同時期に王匡貧民集結し緑林山を拠点叛乱起こしている(緑林軍)。 22年地皇3年)冬、劉秀の兄の劉縯挙兵する。最初思うように兵が集まらずに苦しんでいたが、慎重な性格評判であった劉秀参加すると、劉秀判断信じ叛乱参加する者が増えるようになった。この反乱軍は舂陵軍と称されている。 挙兵時には劉秀貧しく馬を買うことができず牛に乗っており、緑林軍合流してから朝廷軍より捕獲した馬に乗るようになったという逸話がある。 まもなく緑林軍疫病蔓延したために、南陽拠点として新市軍と、南郡拠点とする下江軍に分裂した新市軍は南陽豪族平林軍(この軍には劉秀本家筋に当たる劉玄加わっていた)や劉縯の舂陵軍と連合した。後にこの連合軍下江軍を再度吸収劉縯が淯陽で官軍打ち破った連合軍南陽宛城包囲した後、新皇帝を擁立すべく新市平林軍の部将らが協議行った劉縯擁立動きもあったが、実績のある有能な人物擁立すると自らの勢力弱体化することを恐れた新市平林軍の部将らはこれを却下し凡庸な人物見做されていた劉玄更始帝として擁立されることとなった23年更始元年)夏、更始帝討伐計画した王莽洛陽から100万号する戦闘兵42残り輸送兵)軍を出発させた。しかし王莽軍事知識経験乏しく政府軍63派の兵法家同行させる、猛獣引き連れるなどの常識外れ編成行った政府軍劉秀拠点としていた昆陽城を包囲・攻撃した。劉秀夜陰乗じ僅か13騎で昆陽城を脱出近県3千の兵を集め昆陽包囲軍と対決する政府軍総大将数千率いて迎撃したが、劉秀やその部下奮闘により大敗喫した昆陽の戦い)。 昆陽勝利前後して劉縯宛城落城させている。これにより劉縯劉秀兄弟名声高まり、その名声恐れた更始帝両者への牽制始める。劉玄即位反対していた劉縯部下が、更始帝から官位授けられた際に固辞したため、更始帝はこれを反逆として誅殺ようとした。この時、劉縯部下擁護したため、更始帝はこれを口実として劉縯をも殺害した。この事件際し劉秀宛城到着すると、更始帝に兄の非礼謝罪し、また周囲劉縯弔問訪問して事件について一切語らず、自ら災禍巻き込まれるのを防いでいる。 昆陽・宛県での結果知ってそれまで傍観していた地方豪族次々と更始軍に合流し更始軍は短期間一大勢力成長した更始帝軍は洛陽長安当時常安)を陥落させ、更始帝洛陽長安当時常安)へ遷都する。洛陽都城とされていた時まで、劉秀更始帝側近たちに昆陽での戦功劉縯の弟であることから危険視され、中央から出ることが出来なかったが、河北派遣する適当な武将がおらず、大司徒劉賜が「諸家の子独り文叔有って用いるべし」と推挙したために赴任を命ぜられた。これによって劉秀への監視解かれ長安遷都した更始帝朝政乱れ民心を失うことで、劉秀自立機会与えられることとなった

※この「赤眉軍・緑林軍」の解説は、「光武帝」の解説の一部です。
「赤眉軍・緑林軍」を含む「光武帝」の記事については、「光武帝」の概要を参照ください。

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