赤眉の乱とは? わかりやすく解説

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せきび‐の‐らん【赤眉の乱】

読み方:せきびのらん

中国、新末期18年王莽(おうもう)の失政から起きた農民反乱参加した者は眉(まゆ)を染めて目印とした。27年後漢光武帝平定された。赤眉の兵。


新末後漢初

(赤眉の乱 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/06 01:27 UTC 版)

新末後漢初(しんまつごかんしょ)は、中国朝(8年 - 23年)が滅びて光武帝により後漢25年 - 220年)が栄えるまでの便宜的な時代区分。中国では王莽の新を「莽新」、劉玄の漢(更始帝)を「玄漢」と称する場合もある(中央政権を打倒しているが、赤眉軍の劉盆子は正式な王朝および皇帝とされていない)。




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赤眉の乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 00:48 UTC 版)

新末後漢初」の記事における「赤眉の乱」の解説

ここに至って各地農民反乱続出する。その嚆矢となったのが琅邪郡海曲県(現在の山東省日照市東港区)の呂母呼ばれる老婆である。彼女の息子県庁勤めていたが、些細なことで県宰(県長官)により捕らえられ死刑処された。17年、これを恨んだ呂母は金を使って人を集めて海上にて集結し県宰を襲って殺した本懐遂げた呂母没するが、一度集められた雑軍たちは解散するわけにはいかず、樊崇といった者たちを首領として山東各地流民たちを吸収して赤眉軍となる。この集団は敵と味方区別のために眉毛に赤い染料塗ったことから、この名前がある。 一方呂母の乱の少し後に王匡王鳳と言ったものたち緑林山(現在の湖北省荊門市京山市)を根拠として農民吸収して反乱軍指揮した。こちらは緑林軍呼ばれる。しかしこの軍の内部疫病流行したために一つの所にいることが出来なくなり21年には分裂し片方南下して下江軍と呼ばれるようになり、もう片方北上して南陽入った。こちらは新市軍と呼ばれるうになる新市軍は南陽豪族であり、宗族でもある劉氏手を結び、再び勢力盛り返した。この劉氏中に劉秀(後の光武帝)と劉秀の兄の劉縯がいる。分裂した緑林軍は再び合流して23年劉氏の中の劉玄擁立し元号新しくして更始とし、劉玄皇帝となった。これ以後劉玄更始帝呼ばれる王莽は当然これらの反乱軍に対して討伐軍を送る。しかし22年廉丹王匡緑林軍王匡とは別人)を将軍とする討伐軍は、赤眉軍敗れた赤眉軍上述の眉に赤を塗ったのはこの戦いからである。更始帝軍は南陽中心都市である宛を包囲し、それに対す王莽討伐軍は宛の近く昆陽包囲するが、劉秀活躍により打ち破られた(昆陽の戦い)。この後王莽相次ぐ敗戦錯乱してしまったようで、「昔から大きな災い時には大きな哭き声で呪いしたものだ。天に向かって哭いて救い求めるのが良い。」などといった進言大真面目取り上げて人数集めて哭き声が大きかった者は官僚として取り立てる布告し、それで取り立てられた者が5000になったと言う。この有様全国に反王莽群雄起こり王莽長安乱入した群盗により殺された。王氏一族多く滅ぼされたが、王莽不仲であった従兄弟王閎王丹降伏して助命されている。

※この「赤眉の乱」の解説は、「新末後漢初」の解説の一部です。
「赤眉の乱」を含む「新末後漢初」の記事については、「新末後漢初」の概要を参照ください。

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