設計・建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/10 06:38 UTC 版)
レンセラー工科大学出身のジョージ・ワシントン・ゲイル・フェリス・ジュニアによって設計・建設された。彼はピッツバーグの橋梁架設者であった。初めは鉄道業界で働き、その後橋梁の架設に関心を示した。彼は構造鋼の需要が高まっていることを理解し、ピッツバーグでG.W.G. Ferris & Co. を設立した。この会社は鉄道や橋梁架設者のために金属の検査をする会社であった。 1892-3年の冬にジャクソン・パークで、ダイナマイトにより3フィートの凍った地面を突破し、ホイールの基礎が作られた。蒸気の噴出は労働者が汚れを解かし、注いだコンクリートが凍るのを防ぐために使用された。木材を積み重ねたものは地面から32フィートに及び、その上にはコンクリートで満たされた鉄の格子枠組みが置かれた。 長軸は71トン、45.5フィート (13.9メートル) であり、これにより構成されたものは当時世界最大の中空の鍛造品であり、これはベツレヘム・スチールで製造された。ホイールは53,031ポンドの重さの直径16フィート (4.9メートル)、鋳鉄製のスパイダー2つを合わせた重さが89,320ポンドである。 36の客車に、それぞれ40脚の回転する椅子があり60人まで収容可能である。よって1度に入ることのできる最大人数は2,160人であった。 1893年6月9日、大きな期待と不安を伴って、試運転の準備が整った。ホイールを動かすエンジンは、地下の本管が蒸気を流し1000馬力のエンジンピストンを推進させる蒸気ボイラにより支えられた。作家のナサニエル・ホーソーンの息子ジュリアンは、ホイールが周辺にある如何なるものよりも高くそびえるのを見るや否や、このようなサイズのものは「直立し続けるが、それを支えるものは見えない。十分なものはない。スポークはクモの巣のようであり、最新の自転車の車輪風である。」と驚いた 。 フェリスと同僚のW・F・グロナウはともに、これまで試みられなかった構造的障害を起こさずゆっくりとスムーズに回転する巨大なホイールという工学の驚異を認識していた。 最初の稼働の際は、客車は取り付けられなかった。しかし労働者たちは、重大な出来事を見ようと集まった多くの従業員の聴衆からの歓声を伴奏に、構造に上りスポークに居座った。最初の回転が完了後、グロナウは試運転を成功とみなした。「私は喜んで大声で叫んだ」 フェリスは自身の発明が動き出すその現場に出席することができず、その晩に電報を受け取った。「最後のカップリングと最後の調整が行われ今日の午後6時に蒸気ボイラが動き出し、ホイールが完全に1回転しました。20分をかけて回転するための全てのものが満足に動作しました。完全な成功をお祝いします。ミッドウェイは非常に熱気に包まれています」
※この「設計・建設」の解説は、「フェリス・ホイール」の解説の一部です。
「設計・建設」を含む「フェリス・ホイール」の記事については、「フェリス・ホイール」の概要を参照ください。
- 設計建設のページへのリンク