設立以後の歩み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 15:36 UTC 版)
「プラッツバーグ (ニューヨーク州)」の記事における「設立以後の歩み」の解説
プラッツバーグは1815年にプラッツバーグの町から分離し、ビレッジとして法人化された。1902年には市として再度法人化された。 プラッツバーグは主要な水路の傍にあり、カナダ=アメリカ合衆国国境に近いという重要さの故に、アメリカ独立戦争でのバルカー島の戦いや、米英戦争でのプラッツバーグの戦いなど、多くの歴史的な出来事の部隊になってきた。市内には米英戦争博物館がある。 1861年、ユダヤ教のシナゴーグであるテンプル・ベス・イスラエルが設立され、現在ある建物は1971年に完成した。プラッツバーグ師範学校は1889年に設立された。1929年に焼けたが、1932年に再建された。1948年にはニューヨーク州立大学プラッツバーグ校となった。 1915年、軍備運動がプラッツバーグで有望な軍隊志願者に対する最初で最も知られた訓練キャンプを開催した。プラッツバーグ・キャンプでは1915年と1916年の夏に軍隊士官候補者約4万人を訓練した。 冷戦時代、プラッツバーグ空軍基地があった市は軍事的に重要な役割を果たしていた。地理的な条件が適していたので、アメリカ東海岸の戦略航空軍団の主要な部隊が駐屯した。シャンプレーン・バレーにあり、アディロンダック山地の雨蔭で守られ、航空機の離着陸に適した年間を通じて安定した気象があった。第380爆撃部隊、宇宙航空部隊、給油部隊のB-52爆撃機や給油タンカーズ、FB-111などがこの基地を使った。この基地は地表面積が大きく、スペースシャトルの着陸が可能な滑走路のあることでは、国内4基地の1つだった。 1961年9月1日、556戦略ミサイル大隊がプラッツバーグ空軍基地で発動した。この大隊は12基のアトラス "F"大陸間弾道ミサイルを市を取り巻く12か所の地下サイロに保管したものだった。10か所のサイロはニューヨーク州内に、2か所はシャンプレーン湖の対岸、バーモント州にあった。1962年のキューバ・ミサイル危機では活動的な役割を果たし、ケネディ大統領にニキータ・フルシチョフ・ソ連首相との交渉に強力な材料を提供した。このミサイルは液体燃料を使っていたので高価であり維持が難しかったために、配備は比較的短命に終わった。固体燃料のミニットマン大陸間弾道ミサイルが配備され、アトラスやタイタン・ミサイルのような液体燃料ミサイルは退役した。556戦略ミサイル大隊は1965年春に活動停止となり、同年後半にはその任務を終えた。 プラッツバーグ空軍基地は数多い功績を挙げてきたにも拘わらず、1990年代の基地再編閉鎖の動きの一環として、1995年9月29日に閉鎖された。空軍は冷戦後の任務を削減し始めた。基地は現在プラッツバーグ空軍基地再開発社が管理し、多くの工業メーカーや商業航空会社によって利用されている。 元の基地は戦略的に好都合な気象条件にあり、アップステート・ニューヨークの中では最も北の離れた位置にありながら飛行機でのアクセスが比較的良かったので、2002年初期にニューヨーク州選出アメリカ合衆国上院議員選挙に立候補したヒラリー・クリントンが、ノース・カントリーでの選挙運動での着陸地点に選んだ。 1980年代の大半を通じて、カナダ・ドルがアメリカドルに比較して強かったので、プラッツバーグはモントリオールやケベック州南部からの観光客が休暇を過ごす場所として好まれた。市内のあちこちで英語とフランス語の2か国語表記が見られる。市のビーチやキャンプ場は常に混雑し、幾つかの屋外ショッピングセンターに加えて、大型ショッピングモールのシャンプレーン・センター・ノースに多くの小売店やアウトレット店を惹きつけた。新しいコンシューマー・スクエアに沿ったモールの追加小売スペースにより、古いピラミッド・モールを時代遅れにした。その大半が解体され、広さ115,000平方フィート (10,700 m2) のローズ・ホームセンターと新しいプライス・チョッパーのあるパワーセンターに転換された。しかし、1990年代にプラッツバーグ空軍基地が閉鎖され、強いアメリカドルが復活すると、カナダからの観光が衰退した。ただし2007年に米ドルが安くなると復活した。今日のプラッツバーグは、ボンバルディア・トランスポーテーション、ノバ・バス、ジョージア・パシフィック製紙工場など基地の跡地にできた新しい工業に依存している。ジョージア・パシフィックの工場は、20世紀初期にアンダーソン農園に建てられた元LOZIER自動車工場の跡地を使っている。 プラッツバーグ市は、1999年11月にダニエル・ステュワート(共和党)を市長に選出し、ゲイを公表した者を市長に選んだ州内最初の都市となった。
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