設立以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 14:02 UTC 版)
久原鉱業より未完成の夏井川第三発電所を引き継いだ日立電力は、1927年(昭和2年)11月に同発電所を完成させ、同年12月に運転を開始した。このとき、日立電力独立の際の契約から久原鉱業が建設費の全てを負債した。1934年(昭和9年)5月には社長の竹内が病気のため退任し、二代目の社長として鮎川義介が就任する。1937年(昭和12年)には福島県の木戸川沿いに木戸川発電所(出力12000 kW)を建設した。 日立電力は他にも水力発電所の建設を予定していたが、貯水能力の低さや渇水等が問題視された。渇水時には磐城・好間炭鉱の自家用火力発電所を利用していたが、電力需要の増加からそれでも不十分となっていた。そこで火力発電所の建設を決める。1938年(昭和13年)1月には常陸セメント株式会社の工場隣に、出力10000 kWの日立火力発電所の建設許可申請をし、同年3月にこれが許可される。土木建築と電気機器をそれぞれ中央土木と日立製作所が請け負い、1940年(昭和15年)2月には工事が完了し、同年6月には使用認可が下りて運転を始める。同発電所は常陸セメントが運転するクリンカー焼成用の回転窯(ロータリーキルン)の予熱を活用するというものだった。
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