楽団設立以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:34 UTC 版)
「オスバルド・プグリエーセ」の記事における「楽団設立以後」の解説
演奏スタイルは、独特の、下町っぽい激しいスタッカートと、全楽器が相互に絡んでの精緻な音作りがその特徴となっている。初期の演奏テンポは、緩急の差がそれほど大きくなかったが、プグリエーセが編曲面でサウンドの美しさを追求するにつれ、フレーズごとに緩急が付けられるようになってきた。1940-50年代では目立たなかった付加和音やグリッサンドやトーン・クラスターも、1960年代以降はこれが増量されて「プグリエーセ・サウンド」と化した。「ラ・クンパルシータ」では冒頭のAメロを丸ごとカットするという大胆な編集も行っている。1968年に、バンドネオン奏者のオスバルド・ルジェーロをはじめとする、メンバーの大量離脱があっても、その穴を補充して楽団の解散は免れた。 レコード録音は、1943年にオデオン(EMI)で開始され、1961年にフィリップスに移籍した。そして1972年には、オデオン(EMI)に再移籍した。オデオン(EMI)には、約300曲のセッション録音を残している。
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