言語の過剰外国化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:00 UTC 版)
単一な言語は、単一な国民(独: Nation)を形成するのに重要だと、18世紀以降のヨーロッパで考えられるようになった。その際に、国民的アイデンティティは、他言語と、それを話す人、その文化的特徴との違いをはっきり線引くことで形成された。その線引きのために、言語の「過剰外国化」に対する批判が起こった。言語批判(ドイツ語版)的な意味での「過剰外国化」と、政治的な意味での「過剰外国化」は、同じ時代に起こり、内容的にはほとんど不可分なものになった。 当時、ドイツ諸侯の宮廷が、イタリアやフランスの宮廷語を真似ることは珍しくなく、帝国秩序の維持に貢献しようとしていたハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン (1621–1676)は、「言語の混合(独: Sprachmengerei)」を批判していた。 ヨーアヒム・ハインリヒ・ケムペ(ドイツ語版)は、1801年から1807年に「外国語表現を押しつけられた我々の言葉をドイツ語化し説明するための辞書」を全6巻で出版した。そのなかで彼は当時好まれていた外国単語をドイツ語に代えて使うよう提案した。1815年に設立された「ドイツ語ベルリン学会」は、「ドイツ語の研究と純化」を行い、フランス語風の言い回し(ドイツ語版)に対抗した。フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーン(ドイツ語版)のように、この試みは、フランス人嫌いとセットになっていた。 グスタフ・ヴーストマン(ドイツ語版)は1891年に『さまざまな言葉の乱れ―いかがわしい、誤った、下品なドイツ語の文法』を出版したが、その内容は陰謀論的な反ユダヤ主義(ドイツ語版)と結びついていた。 「 このような荒廃を生みだす根源と温床は、新聞であり、より正確に言えば、日刊紙である。1848年に言論が自由化されてからというもの、このような荒廃が過剰に引き起こされている。……とくにユダヤ人にはこの件に関して罪がある。今日の我々の言葉の乱れの大部分は、ベルリンやウィーンの日刊紙を作っているユダヤ系ドイツ人のせいである。その根拠は、ユダヤ人は、ドイツ語をいまだに母語として話していないからだ。彼らがドイツ語を完全にマスターしていないのはそのためだ。語感だけで見ると、ユダヤ人が器用にドイツ語文法の基本に順応しているように見えるが、いつまでも異質な人間であることに変わりはない。 」 このような常套句は、ナチス・ドイツの時代に、民族浄化を正当化するための人種差別的なプロパガンダとして使われた。 今日のドイツ語圏では、特にドイツ語の英語化が批判されている。例えば2001年に文学評論家のマルツェル・ライヒ=ラニツキは次のように嘆いている。 「 ドイツ語のなかに英語を取り込むことでいま起こっているのは、非常に馬鹿げた、忌まわしいことである。ドイツ語にはもっとよい表現がたくさんあるのだから、そんなことには全く何の意味もない。慣れない異化には断固と抵抗するべきである。 」 同様にゲーテ・インスティトゥートの所長ユッタ・リンバッハ(ドイツ語版)、言語学者のウルリヒ・クノープ、ヘニング・カウフマン財団の議長は、正しいドイツ語を保護するよう主張している。 「 私たちは、私たちの歴史に対する責任をできるだけ回避するために、ドイツ語にたくさんの英語を取り込んでいます。私たちが異質になればなるほど、ますます第三帝国とその犯罪に責任をもつドイツ人ではなくなっていくでしょう。 」 言語の問題は、しばしばドイツのアイデンティティや主要文化(ドイツ語版)の議論で再び大きくなっている。文法が簡略化されてたり、外国語の発音が使われたり、ドイツ語に外国単語が無理に入れられたりすることで、言語変種が拡大しており、そのことに対する批判がますます大きくなっている。ドイツでは、南方から来た外国人(イタリア人、ギリシャ人、スペイン人、のちにアラブ人、ペルシア人、トルコ人)を「カナカ族」と呼んで軽蔑することがあるが、多くのトルコ系ドイツ人は、自分たちのドイツ語をカナク語(ドイツ語版)と呼んで、わざと自虐的に使っている。多くのドイツの政治家は、それに対して言語保護法(ドイツ語版)の制定を要求しているが、多数を得てはない。同様の法律は、フランスやポーランド、ラトビアなどで導入されている。
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