言語の選択
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:37 UTC 版)
バハイ教のいかなる権威者も、国際補助言語にどの言語を採用するかということは明示しなかった。バハオラは次のように述べている。「世界言語は既存の言語から選ばれるか、発明される言語から選ばれるであろう」 アブドル・バハはエスペラントの理念を称賛した。19世紀後半から20世紀前半のエスペランティストとバハイ教徒の間には共通点があった。1913年2月12日にパリ・エスペラント協会で述べている。 「Dr.ザメンホフにエスペラントを造らせ給うた神に称賛あれ。それは国際的な通信手段になる潜在的な特質を持っています。私たちはこの高貴な努力のために彼に感謝するに違いありません。この方法は彼の同胞たちに非常に役立ったからです。エスペラントの熱心な推進者の不屈な努力と自己犠牲によって、エスペラントは世界的なものとなるでしょう。従って、私たちすべての人はこの言語を学ばなければならないし、可能な限りそれがより広く認められて、世界全ての国家及び政府によって受容されるかもしれないし、公立学校のカリキュラムの一部になるよう拡げなければなりません。私は将来の国際会議や協議会でエスペラントが採用されることを望みます。そうすれば人々はたった二つの言語、自分の母語と国際語の二つがあればいいことになるでしょう。世界の人々の間に完全な統一が確立されるでしょう。今日、様々な国家とコミュニケーションすることがどれだけ困難か考えて下さい。五十の言語を学んだとしても、更に他の国に移動すればそこの言語を知らないかもしれない。私はあなた方が極めて努力することを望みます。そうすればこのエスペラントという言語が大いに拡がっていくでしょう」 こうしたエスペラントに対する好意にも関わらず、ショーギ・エフェンディと万国正義院はエスペラントを補助言語とすべきという公式な支持はないということを強調した。 現在、バハイ教徒エスペランティストの活動的なサブ・コミュニティが存在している。バハイ・エスペラント連盟は1973年に設立された。また、ルドヴィコ・ザメンホフの末娘であったリディア・ザメンホフはバハイ教徒であった。アブドル・バハの求めで、アグネス・ボールドウィン・アレクサンダーは初期のエスペラントの唱道者となり、日本での会議や会合でバハイ教を拡げるためにそれを使用した。
※この「言語の選択」の解説は、「バハイ教」の解説の一部です。
「言語の選択」を含む「バハイ教」の記事については、「バハイ教」の概要を参照ください。
- 言語の選択のページへのリンク