視覚芸術と建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/10 08:24 UTC 版)
詳細は「中世の芸術」および「中世の建築」を参照 ルネサンス芸術の先駆者は、既に14世紀のジオットの作品に見られる。ジオットは三次元の現実性を表現しようとし人間の真の感動とともに人生を捧げた最初の画家であった。しかし最も重要な発展は、15世紀のフィレンツェで行われた。商人階級の富は、芸術に対する広範な後援を行うことができ、最大の後援者は、メディチ家であった。 この時代はマサッチオの作品で発見され後にブルネレスキが訴えた遠近法の理論のように重要な技術革新が数点ある。更に大きな写実主義は、ドナテッロのような芸術家が擁護した人体の科学的な研究を通しても行われた。このことは古典的なモデルの研究にヒントを得た彫刻に特に良く表れている。運動の中心がローマに移ると、時代は盛期ルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチやミケランジェロ・ブオナローティ、ラファエロ・サンティで最盛期を迎えた。 イタリアルネサンスの思想は、ゆっくりとアルプスを通って北ヨーロッパに達したが、重要な芸術改革は、低地帯でも行われた。かつて信じられていたような油彩画の発明者ではなかったが、ヤン・ファン・エイクは新しい手段の擁護者であり、大きな写実主義の作品や詳細図を作るのに用いた。二つの文化は、影響を与え合い、学び合ったが、オランダの絵は、イタリアの理想化された構図より依然構成と外観に焦点を当てていた。 北ヨーロッパ諸国ではゴシック建築が依然標準であり、ゴシック様式の大聖堂が、更に精巧に作られていた。一方イタリアではここでも古典的な理想からヒントを得て建築は違った方向に進んでいた。この時代最高の作品は、ジオットの時計塔、ギベルティの洗礼場の門、ブルネレスキの前代未聞の均整のとれた大聖堂のドームと共にフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂があった。
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