西ドイツ国鉄 TEE/IC客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 06:49 UTC 版)
「TEE」の記事における「西ドイツ国鉄 TEE/IC客車」の解説
西ドイツのTEE用客車は1962年に当時はまだTEEではなかったラインゴルト、ラインプファイルに使用された車両が元になっている。車体はそれまでのドイツの優等列車用客車をもとに制定された国際鉄道連合のUIC-X規格に準拠している。最高速度は初期のものは160km/hであるが、1960年代後半以降に製造された車両は200km/h運転に対応している。 1965年からTEEにも用いられるようになった。ラインゴルト用客車はクリーム地に紫帯の塗装であったが、1965年以降TEE向けに製造された車両はクリーム地に赤のTEE標準色であり、ラインゴルトの客車も後にこの色に塗り替えられた。 車両の内訳は以下の通り。なお製造数にはTEE運用についたことのないものも含まれる。またここでは1980年に使われなくなった扉の配置を表す記号である"ü"は省略している。 種類UIC分類記号・形式番号製造開始年製造数備考一等コンパートメント車Avmh111Avmz111 1962年 267 Avmz207 1977年 100 一等開放座席車Apmh121Apmz121 1962年 100 Apmz122 1975年 35 一等展望車ADmh101 1962年 5 一等コンパートメント・バー合造車ARDmh105 1965年 11 ARDmz106 1970年 3 ARmz211 1971年 56 ARmh217 1972年(改造) 10 国内列車用車両からの改造 食堂車WRmh131 1962年 5 WRmh132 1965年 27 WRmz135 1969年 36 パンタグラフによる給電 クラブ車WGmh804 1982年(改造) 3 国内列車用車両からの改造 ADmh101形展望車は中央部が二階建てとなっており、二階部分はドーム屋根の展望室である。1962年に製造された3両は車両側面には"RHEINGOLD"の文字が書かれていが、1963年製造分ではこの文字は"DEUTSCHE BUNDESBAHN"に置き換えられている。WRmh131形食堂車は厨房部分が二階建てとなっている。こちらの側面には"DSG"(ドイツ寝台車食堂車会社、旧ミトローパの西ドイツ側)の文字が書かれていたが、1967年に"TRANS EUROP EXPRESS"と改められている。この2形式はラインゴルトのほか、1973年までラインゴルトと途中駅で一部の車両を入れ替えていたラインプファイル、1973年以降ラインゴルトと共通の車両を用いていたエラスムスのみで用いられたが、最高速度は160km/hに限られており、1976年を最後に運用を外れた。WGmh804形「クラブ車」はラインゴルト専用であり、1983年以降ラインゴルトのミュンヘン方面編成に連結された。 1971年にインターシティの運行が始まると、TEEと同形式の客車がインターシティにも用いられるようになった。TEEにおける運用は1987年のラインゴルトの廃止とともに終わったものの、インターシティ・ユーロシティ用車両としては、改装を重ねながら新型の客車とともに用いられ続けている。ただしバー車は1990年代にインターシティには連結されなくなった。 ドーム形展望車は1976年にTEEで用いられなくなった後、改装されて観光列車「アプフェルプファイル(Apfelpfeil)」に用いられた。その後1981年にスイスの旅行会社「ライズビューロー・ミッテルスルガウ」に売却され、さらにそこから北ヨーロッパの企業に転売された。2005年には4両がドイツに里帰りし、1962年当時の塗装やTEE色に復元されて観光用に運行されている。残る1両は2007年現在スウェーデンで保存されている。 なお西ドイツ国鉄車のTEEには、多客期には1954年以来用いられている長距離列車用一等客車が増結されることもあった。
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