西ドイツ国内列車とは? わかりやすく解説

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西ドイツ国内列車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/01 16:18 UTC 版)

ブラウエル・エンツィアン」の記事における「西ドイツ国内列車」の解説

1951年発足したドイツ連邦鉄道西ドイツ国鉄)は、この年夏のダイヤ改正気動車による特急列車(Fernzug, F-Zug)14往復半の創設計画したそのうち一往復がハンブルクミュンヘンハノーファーヴュルツブルクアウクスブルク経由で結ぶF55/56列車である。しかしこの列車は一旦は時刻表に「7月1日から運転」と記載されにも関わらず車両確保できなかったため夏ダイヤでは運行されなかった。そして同年冬のダイヤ改正10月7日)から、機関車牽引客車列車として運転を開始した1952年ダイヤ改正5月18日)から西ドイツ国鉄特急列車列車名をつけることになり、F55/56列車は「ブラウエル・エンツィアン」と名付けられた。 1953年12月からは、第二次世界大戦前ベルリン - ドレスデン間の列車「ヘンシェル・ヴェークマン・ツーク」に用いられていた客車ブラウエル・エンツィアン充当された。 この時期にはハノーファー中央駅特急列車1969年からTEEローラントブレーメン - ハノーファー - フランクフルト・アム・マイン - バーゼル)と相互に接続するようにダイヤ組まれていた。この接続は後のTEE時代まで続いた1964年からは、1962年国際特急ラインゴルト国内特急ラインプファイル投入されたのと同型客車ブラウエル・エンツィアンにも使用されるようになったラインゴルトTEE格上げに関する議論きっかけに、1965年5月30日から国際TEE同等車両使用する国内列車TEEとされることになり、ブラウエル・エンツィアンラインプファイルフランスル・ミストラルとともにTEE種別変更した1965年ダイヤにおけるハンブルクミュンヘン発着時刻以下の通り。 ↓南行TEE 56北行TEE 557:01ハンブルク=アルトナ駅23:26 着 7:15ハンブルク中央駅23:0715:22ミュンヘン中央駅15:00その後1966年からE03型電気機関車投入されたことなどにより所要時間短縮された。その効果が特に大きかったのはアウクスブルク - ミュンヘン間であり、この区間では1968年から最高200km/hでの運転が認められた。同区間200km/h運転1965年ミュンヘン交通博覧会の際の臨時列車試験的に行なわれており、ブラウエル・エンツィアンでも1966年から計画されていたが政府許可得られていなかった。1968年時点でも時刻表上は180km/hで走行可能なようになっており、200km/h走行前提としたダイヤになったのは翌1969年からである。このほかハンブルク - ハノーファー間などでも速度向上し1970年にはハンブルク中央駅) - ミュンヘン間の所要時間1965年当時から1時間以上短縮され7時間ちょうどになった

※この「西ドイツ国内列車」の解説は、「ブラウエル・エンツィアン」の解説の一部です。
「西ドイツ国内列車」を含む「ブラウエル・エンツィアン」の記事については、「ブラウエル・エンツィアン」の概要を参照ください。

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