西ドイツの首都として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 08:13 UTC 版)
ドイツ国の首都であったベルリンは、大戦後には東ドイツ内の飛地と化し、連合国軍の占領下でもある西ベルリンが西ドイツの首都たることは事実上不可能であった。ボンが暫定首都に選ばれたのは、初代首相コンラート・アデナウアーの意向が大きく影響を与えたとされる。アデナウアーら主要政治家は、将来東西ドイツが統一された暁にはベルリンが再び首都になるべきだと考えており、フランクフルト・アム・マインやハンブルクといった大都市では、首都としての発展がいずれ恒久的な既成事実・既得権益として定着し、ベルリンへの遷都が困難になりかねないという恐れが予見された。そこで小規模な古くからの文教都市で、なおかつ地理的にも西ドイツの中央部に位置していたボンに白羽の矢が立った。 1949年9月7日、連邦議会で議決が行われ、33対29の僅差でフランクフルトを下し、ボンが暫定首都となった。 1969年にはバート・ゴーデスベルク(Bad Godesberg)と合併している。この頃より、早期の東西ドイツ統一は期待できないとの認識が強まり、恒久的な首都機能の整備が行われるようになった。
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