国内列車としてのTEEとは? わかりやすく解説

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国内列車としてのTEE

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/25 06:49 UTC 版)

TEE」の記事における「国内列車としてのTEE」の解説

TEEは本来すべて国際列車であるが、1965年5月30日からは西ドイツとフランスそれぞれの国内のみを走る列車TEEとされるようになった。このきっかけ国際特急列車(F-Zug)であったラインゴルト新たにTEEにしようとしたことである。ラインゴルトオランダ西ドイツスイスの3ヶ国を走る国際列車で、一等車のみの編成であり、1962年以来使用されている車両TEEに十分ふさわしいものであった。そこで1964年TEE委員会で、西ドイツオランダスイスの3国鉄ラインゴルトTEEとすることを提案した。ところが、ラインゴルト途中デュースブルク西ドイツ国内特急列車ラインプファイルドルトムント - ミュンヘン)と客車のほぼ半数入れ替えていた。そこで西ドイツ国鉄ラインプファイル同時にTEE加えられるべきであると主張した。これに対してフランス国鉄ル・ミストラルパリ - ニース)もラインゴルトなどと同等客車用いており、TEEとされるべきであると主張した委員会での交渉結果ラインプファイルル・ミストラルのほか、ラインゴルト同型客車使われているブラウエル・エンツィアンハンブルク - ミュンヘン)もTEE昇格することになり、3往復国内TEE誕生した。なお、イタリアで1953年から運転されいた電特急セッテベロTEE加えることが検討されたが、特急料金が高すぎるとしてこのときは見送られた。 その後1970年ブラウエル・エンツィアンオーストリアまで延長され国際列車となった。また1971年9月27日ダイヤ改正で、西ドイツ国鉄TEE同等客車用いた国内優等列車であるインターシティ新設した(後述)。これによりラインプファイルインターシティ種別変更し西ドイツ国内列車TEEは一旦姿を消したフランスでは1969年ル・ミストラル補完する国内TEEとしてル・リヨネ(パリ - リヨン)が新設され1970年からはそのほか幹線にも国内TEE次々と誕生した最盛期には、国際TEE合わせると、パリ起点放射状広がる幹線のほぼ全てTEE運行されていた。 またイタリアでも、1973年から国内優等列車一部TEEとされるようになった。これらは前年国際TEE投入した客車改良した新型客車「グラン・コンフォルト」を用いていた。1974年にはセッテベロTEEとなった

※この「国内列車としてのTEE」の解説は、「TEE」の解説の一部です。
「国内列車としてのTEE」を含む「TEE」の記事については、「TEE」の概要を参照ください。

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