国内出場歴
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1960年 初モトクロスレース - 初の公式戦出場。マシンは山口 オートペット。結果は予選落ち。 1961年 トーハツ ランペットでモトクロス初優勝。 1961年 全日本モトクロス選手権セニア250cc チャンピオン。 1962年 千葉のスピードスクランブル・レースにヤマハYDS250で参加し優勝。最年少優勝者を受となる。 1963年 トーハツへ移籍。工場レーサーTR250 1964年 ヤマハセミワークスライダーとして全日本モトクロス選手権で活躍。 1965年 ヤマハワークスライダーとしてYDSベースのモトクロッサーで各地のレースに参戦。葉山のレースでは90cc・125cc・250cc・オープンクラスと、なんと4クラス制覇を成し遂げ、一躍脚光を浴びる。 MFJ全日本ロードレース(鈴鹿)50ccクラス優勝 1966年 21歳 出場する殆どのレースで優勝。破竹の快進撃を続ける。 1967年 ヤマハのニュー・モトクロッサー、YX26を駆りデビュー戦の郡山モトクロス日本GPにて優勝。 全日本モトクロス選手権 ジュニア250cc ランキング3位 1968年 全日本モトクロス選手権 セニア250cc ランキング3位、125cc 7位 1969年 DT-1ベースのマシンで全日本モトクロス選手権セニア250ccクラス年間チャンピオン。 125ccクラスランキング2位。日本モーターサイクルスポーツ協会(MFJ)最優秀選手にも選ばれる。 1970年 全日本モトクロス選手権第4戦 125cc・250cc・オープンクラスの3クラス優勝。 1971年 怪我のため8か月のブランクの後、復帰レースの全日本モトクロス選手権第6戦125クラスで優勝。 その後再び怪我に泣かされる。 1972年 27歳 再度負傷から立ち直り、レースに復帰するも、思うようにレースが出来ない。 1973年28歳 ヤマハのニューマシン0Wを駆る。全日本戦の秋田で優勝。 1974年 29歳 ヤマハ契約ライダーとして、中南米を中心とした海外でのマシンテストやレースが多くなる。
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